寺島実郎「世界を知る力」PHP新書(2010年1月)★★★☆☆

世界を知る力 (PHP新書)

世界を知る力 (PHP新書)


グローバルなものの見方と全体知を説いた素晴らしい本。
 

(P.48)
「国際人」は何も戦後に誕生したわけではない。まして、英語が話せるから「国際人」なのでもない。異なる国の人たちにも心を開き、自分を相対化してみることのできる人間が「国際人」なのである。

(P.50)
空海は、人間の心に潜在する仏性を信じ、絶対平等の世界を訴えると同時に、現世の現実的な課題にも正面から向き合おうとしたのである。そこに、わたしは、人間世界の総体を体系的かつ調和的にとらえようとする「全体知」を見る。そして、現代世界で生じるさまざまな問題に対処する場合にも、空海のように、「全体知」を希求するなかで問題の本質的解決に向かわなければならない、と自分を戒めるのである。

(P.54)
無論、歴史観に絶対的な正解はない。誰もが納得する客観的な歴史などというのは存在しないともいえる。しかし、それでもなお、自分の瞳に映る「世界」を狭めないために、自らの歴史観、世界観を相対化して見る視点は不可欠だ。

(P.60)
地政学的なものの見方というのも絶えず重要ではある。力と力がヘゲモニーを争う「グレートゲーム」のような世界観には、それなりの魅力がある。しかし、わたしは、表面的な現象に惑わされず、地下水脈のように世界に張りめぐらされたネットワークに着目することこそ、(表面的に)激動する現代世界をとらえるうえで、最も重要だと考えている。

  • 「大中華圏」ネットワーク
  • 「ユニオンジャックの矢」ネットワーク(ロンドン、ドバイ、バンガロール、シンガポール、シドニー)
  • 「ユダヤ」ネットワーク

(P.176)
「世界を知る」とは、断片的だった知識が、さまざまな相関を見出すことによってスパークして結びつき、全体的な知性へと変化していく過程を指すのではないだろうか。

(P.183)
「世界を知る力」は、自らを相対化し客観視する過程なくしては磨かれないのである。とはいえ、自分を、日本を客観視することは容易なことではない。そのためには、名もなく貧しく異文化に飛び込んで、孤独と失望の連続を体験することが必要なのかもしれない。(中略)外を知れば内がわかる。内がわかれば外とつながる回路ができるのだ。

(P.197)
わたしたちは、「世界を知る」という言葉を耳にすると、とかく「教養を高めて世界を見渡す」といった理解に走りがちである。しかし、そのような態度で身につけた教養など何の役にも立ちはしない。世界を知れば知るほど、世界が不条理に満ちていることが見えてくるはずだ。その不条理に対する怒り、問題意識が、戦慄するがごとく胸に込み上げてくるようでなければ、人間としての知とは呼べない。たんなる知識はコンピュータにでも詰め込んでおけばいい。

 
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