現代を生きる日本人の多くはバイアスに支配されているのか

現代を生きる日本人の多くは、ある意味でバイアスの固まりであると言うことが
できるのではないだろうか。
 
もちろん、人間は自分自身の「脳」を通過させずに思考することができない以上、
人間が厳密な意味で物事を「客観的」に捉えることなど絶対にできない。
 
しかしながら一方で、ヨリ客観的に物事を捉えようと努力することができるのが
人間であり、これは人間を特徴づける重要な特質の一つである。
この特質が過度の主観を自制し、深い見地から適切な判断を行うことを可能にしている。
 
残念なことに、日本はバイアスで動いているのではないかと疑いたくなることがある。
特に海外でしばらく生活し日本に戻ると、日本が他の国よりもこの傾向が大きいのでは
ないかと感じることがある。
言うなれば、真実や本質を探求する力が現代を生きる日本人から急速なスピードで
失われつつあるように思えるのである。
これは、形而上学的思考の蔓延と表現できるかもしれない。
 
日本人が物事を安易に判断し決めつけてしまう要因は多く列挙することができるが、
それらに共通する事項を一つ挙げるとしたら「謙虚さの喪失」であろう。
 
たとえば、自分は人よりも物事を多く知っていると思っている人が非常に多い。
この傾向は年配の世代だけでなく、若い世代にも広がっているようである。
 
さらに、自分の考え方に合致しない他人をバカだと決めつけたりするなどして、
他人を低く見ることよって相対的に自分の位置を上昇させる若者が多くなっている。
 
これらの事象は、自分が触れたことのない文化、民族、宗教、思考方法がまだまだ
数えきれないくらいこの地球上に存在するという、言うなれば多様性の尊重、
あるいはグローバル志向ができない日本人が多いことに起因すると思う。
 
これはある意味、グローバル化発展途上国とも言える日本を象徴する事態なのであろう。
 
インターネットなど科学技術の更なる発展により、我々が扱う情報量は益々肥大化し、
その情報の信憑性を細かく精査するよりもスピードをあげて短時間で処理することが
求められる時代、個々人のバイアスは大きくなっていく傾向にあるように思える。
 
そもそも自分の考えのみを尊重した日々をおくっていると、気づけば自分という小さな殻に
閉じこもり、非常に小さな世界のみで生きることとなってしまう。
 
人は、努力をしなければ年を経るごとに思考の幅が次第に小さくなる危険性を有するから、
常にグローバル志向であろうと努力すべきであると思うのだ。
 
自分はまだまだ未熟であることを忘れてはならない。
地球はとんでもなく大きく、自分が話をしたことが無い人々が数十億人いることを
忘れてはならない。
 
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