死に至る病は最大幸福か

物事の本質を問う思考能力がなく、ゆえに自分のプリンシプルを持たないまま
流されて生きる人になってしまうということが、私にとって一番恐ろしい、
いわば「死に至る病」である。
 
一方、いったん「死に至る病」となれば、そもそも自分の人生について思いつめて
考えることなどないのだから、自分が不幸であるということにすら
気付くことはできないことになる。
 
「不幸であることに気付かない」というのは、ある意味最強である。
なぜなら人は、すべてのことを自らの脳を経由してしか認識できないからだ。
 
これは誰が何と言おうと揺らぎようのない真実である。
ゆえに自分が不幸であると認識できないということは、不幸などでは決してなく、
むしろ思い切り幸福なことなのである。
 
極論を言えば、難しいことに気付くことなく、自分の人生に対しても傍観者である
人こそが、もっとも幸福であると言えるのかもしれないのである。
 
思考をこうして展開していくと、いつの間にか
死に至る病」=「最大幸福」
となってしまう。
 
決してイコールで結ばれることのないと思っていたことが、こうしてイコールで
結ばれてしまうという事実。
 
よくよく考えてみれば、このようなパラドックスがこの世界に無数に存在し、
むしろそれが大きな支えとなってこの世界を維持しているのかもしれない。
 
すべてがガチガチに規定されていたら、この世界からダイナミズムは失われ、
色褪せた機械的な世界になるであろう。
 
まさに世界は、形而上学的にではなく、弁証法的に発展するものなのである。
 
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