形而上学的有限性を無限化する手法としての弁証法

一般に、人には物事を形而上学的に捉える傾向がある。
 
形而上学的思考は社会的動物である人類が効率良く世の中を生き抜くための必須能力である一方、
バイアスに囚われ画一的、一方的な思考に陥る危険な罠にもなり得る。
特に情報化とグローバル化が際限なく進む現代社会に生きる我々にとって、非常に強烈な
両刃の剣であると表現することができるだろう。
 
大切なのは、形而上学的思考のメカニズムを論理的に把握することである。
また、この事実を主観的(仰視)かつ客観的(俯瞰)視点で同時に把握することである。
一見矛盾したこの正と反を自らの中でアウフヘーベン止揚)することで、弁証法的に形而上学
利用できるようになる。
 
何も大袈裟に考える必要は無い。
日々の生活の中で、物事を幅広く捉えるトレーニングを積めば良いのである。
 
例えば、何をもって人を「やさしい」「親切」と定義するのか。
日本人A氏にとっては、「いつも穏やかに自分を褒めてくれ、決して厳しいことを言わない」
ことがその定義かもしれない。
だが一方で日本人B氏にとっては、「自分の未熟さをいつも厳しく指摘し戒めてくれる」
ことがその定義に当てはまるかもしれない。
上記の両方が定義に当てはまる人も多いはずである。
 
このように、同じ文化を共有する日本人をとっても大きくことなる定義となるのであるから、
この多様な文化、民族が入り交じる世界において、その幅広さたるや際限が無いことは
容易に想像できる。
 
物事にはコインの表裏のように必ず二つの側面がある。
これは良く言われることであるしこの表現は真実であるが、もう一段階形而上学の枠を広げれば、
二元論ではない無限の側面を同時に持つということに気づく。
この思考のダイナミックプロセスそのものが、弁証法でいうアウフヘーベンである。
  
もともと有限性を示す形而上学ですら、弁証法にかかればその有限性を超越できるのである。
 
★↓ランキングに参加中。ワンクリックするだけで投票になりますので1日1回クリックをお願いします。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ