嘉義日帰旅行
朝からMRT・新幹線を乗継ぎ嘉義へ向かう。
台北駅から約1時間半で到着。
新幹線の駅から嘉義市街へは無料バスが出ているのでとても便利。
嘉義市街に入ると、とてもすごい人だかりが目につく。
おばちゃんに聞いてみると、朝市だという。
ちょうどお腹もすいてきたので、ここぞとばかりにバスを途中下車。
ぶらり途中下車。
なんとすばらしい響きだろう。
この朝市は「永和街朝市」というらしい。
様々な野菜、肉、果物はもちろん、衣類やお菓子や揚げ物など、あらゆるものが売られており
活気に満ちあふれている。
ああ、この熱気がたまりません。
朝食を探していて、目についたのが揚げパン。
「双胞胎」という名前で、2個の揚げパンがくっついている。
サクサクしていて美味。
12元でもうお腹がいっぱい。
さらに歩いて行くと、果物屋さんにマ、マンゴーが!
嘉義はもう夏、30℃に達する日もある。
そう、気づけばマンゴーの季節が来ていたのである。
これを見つけてしまってはもう逃げられない。
特に、大きな「愛文芒果」から目を離せない。
ガマンできず、ガマンする気にもなれず、果物屋さんの老板にお願いして切ってもらう。
食べきれないので1個で良いよといってもどんどん切っていき、結局4個。
それにしても手際が良いなぁ。
これって高いんじゃない?200元くらいとられるんじゃない?と思っていると、
なんと50元で良いという。
お店に出せないキズがあるマンゴーを切っているから安いそうだ。
早く食べたい一心で、
「お店の中のテーブルで食べさせてもらっても良い?」
と聞いてみると、すんなりOK。
早速かぶりつく。
ああ至極至極。
次に向かった先は嘉義公園。
この嘉義公園は日本統治時代に嘉義神社があったところ。
神社の社務所や灯篭はほぼそのままの形で保存されているが、鳥居や本殿は取り壊されてしまった。
今は中華民国の英霊を祀る忠烈祠となっている。
社務所の建物は史蹟資料館として使われている。
これはどう見ても100%完全な日本建築。
資料館での情報によれば、第一代の嘉義神社は、名古屋市の伊藤満作の手によって
大正四年(1915年)10月に完成。
大正十年から昭和15年には、木材と製糖産業の急激な発展により嘉義市の人口増加率は
台湾平均の増加率と比較し2.3倍となり、急激に市民が増えたため第二代の嘉義神社を建設する
こととなった。
第二代の嘉義神社は、昭和18年(1943年)に完成。
建造者は、永登令治など。
この資料館で、様々な歴史を学んだ。
あらためて、台湾が日本であったということを実感できた。
さて、公園を歩いて行くと、「ばぶ」という名でいまも愛されている手作りアイス屋さんが。
とりあえず食らう。一個15元。
その後、文化路で「郭家雞肉飯」と「噴水雞肉飯」の鶏肉飯を食べ比べ。
おなかいっぱい、眠気最高潮の中、気合で酒工場跡を訪れる。
帰路に着くバスに乗るため、嘉義駅へ。
嘉義駅でバスを待っているとお祭りがおこなわれており、神様の行列と派手な音楽、ロケット花火を
打ち上げるおじさん、爆竹おじさんなどが次々と列をなして練り歩いて行く。
写真を撮ろうとすると、撮ってはいけないと止められる。
どうやらこのお祭りは地獄の神様のお祭りのようで、確かにそのお祭りを見ている人は
ほとんどいない。
お祭りをしている人たちもうつむきながら、なんだか元気がない。
気づけば、街全体がロケット花火と爆竹で曇ってしまった。
最後の嘉義の印象は、この煙であった。
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