2007年の総括「人生の中で最も活動的に物事を行い最も成長した一年」

日本に向かうその飛行機の中で、今年はどのような一年だったかを考えた。考えた末たどり着いた結論は「人生の中で最も活動的に物事を行い最も成長した一年」である。
 
そう言い切れる理由は一体何だろうと考えてみるとき、何よりも第一に思いつくのは時間の使い方がうまくなったことがあげられる。
私は以前から、時間というのは万人に対して平等に与えられているけれどもその活用の仕方次第では何十倍、いや何百倍も有効活用できると考えていた。実体験ではなく、直感でそれを感じていた。しかし、それを直感や理論から実践に移行できたのはこの2007年が初めてである。
以前と比較すると同じ24時間でも時間をはるかに効率的に活用できるようになったし、同じことをするにもはるかに短い時間でできるようになった。無駄な時間をダラダラと過ごすことが少なくなり、ちょっとした時間を利用して読書をしたり考え事をしたりすることができるようになって、うまく自分をコントロールできるようになった気がする。
実は、中学生の頃から大学を卒業する頃まで、毎日のように「時間」というものの存在について哲学的に考えてきた。「時間とは一体何なのか」「なぜすべては過去になるのに今を生きなければいけないのか」といった類のことを一時期は昼夜ひたすら考え続けていた。社会に出ると、今度は目の前にある実問題として時間が取れないことにフラストレーションを感じ、人生での時間の使い方について悲観的になったりしたこともあった。
ではなぜ時間を有効活用できるようになったのか。それは、過去に何千時間も費やした哲学的、現実的な模索や体験が、今のポジティブで現実的オプティミズムの自分を生んだということは間違いないであろう。
さらに忘れてはならないことは、2006年8月にブログを開始し毎日更新してきたことであろう。ブログを書くために新しいことを見つけようと努力することで、結果として無駄な時間を排除するクセがついたのだろうと思う。
ブログを毎日更新することがなければ、絶対にここまで時間を有効活用することはできなかったはずである。この時期の私がたまたまウェブ革命に偶然出会えたというのは、一生に何度あるか分からない数少ない幸運であった。その幸運に感謝すると同時に、これは実は自らがこの幸運を引き寄せた「セレンディピティ」そのものだったようにも思えてならない。
以上のとおり自分なりの成長を感じているものの、実は自分の中でいつも注意を払っていることがある。それは、時間を有効活用するその道の達人は今の私よりも数十倍以上、同じ時間でたくさんのことを行っている、という確信である。時間の使い方の進化は青天井だから、死ぬまで一生向上の努力を怠ることはできないのである。
 
理由の二つ目は、いろいろなところに旅行や出張に行けたことである。

≪台湾国内旅行≫
・台南
・陽明山
・礁渓
・高雄・東港
・花蓮
・台中・鹿港
日月潭・埔里
 
≪海外旅行≫
・イタリア
・北海道
 
≪日帰旅行≫
・新竹・内灣
・九份
 
≪出張≫
・上海
・フィリピン

台北での生活自体が新しいものに触れる毎日なのだが、週末などを利用して台湾国内旅行に行くのが面白く、暇を見つけては知らない台湾を発見しに出かけた。台湾は本当に文化豊かな島であり、いろいろな発見があって言い表せないくらいの感動があった。それに加えて旅行や出張で海外に行けたことは自分にとって非常に大きな成長になっていると思う。 
今年の旅行の中でも特に印象に残っているのは、上海を出張で訪れたときに中国語でいろいろな人と会話ができたこと。
初めて中国を訪れたのは5年ほど前のことであるが、そのときは「ニーハオ」「シェイシェイ」程度の中国語しか知らなかった。台湾へ赴任後、片言ながら中国語を話せるようになってから初めての中国出張。そこで感じた中国は、5年前に訪れた中国とはまったく違う印象であった。もちろん台湾の公用語は中国語なので、若干のイントネーションの違いはあれどほとんど同じ、ということはもともと知っていたのであるが、実際に上海を訪れてみると彼らの中国語はとても分かりやすい発音であることに驚いた。
さらに驚いたことは、自分がその地の言葉を理解できるのとできないのでは、その国に対する印象まで変わってしまうということ。これは自分にとってとても大きな発見であった。特別な事情が無い限り、今後も旅行に出かけたい。
 
最後の理由は、読書である。
この一年は、人生で最も活字に触れた一年であった。目標の100冊には及ばなかったものの76冊の本を読んだ。さらに様々な本や雑誌を読んだだけでなく、ウェブ上の様々なコラムにたくさん触れられたことは自分を大きく飛躍させたと思う。読書をしていると、自分に大きな衝撃を与える本や作家に出会うことができる。そしてそれをしばらく続けていると、今度はその衝撃に会えた偶然に感謝するようになる一方、もしこの出会いが無かったら今の自分は無かった、というような考えに至る。時にそれは「もし出会っていなかったら」という、ある種の恐怖を呼び起こす。そして一冊でも多くの本を読まねばならぬ、というように拍車がかかっていくのである。そしてまた、衝撃的な出会いが生じる。今年は上記のような「大きな歯車」が回りだした一年だったように感じるのである。
また作家でも学者でもない多数の人たちが、ウェブ上で本質的で高次元の議論をしているのを見て、表現できない興奮や感動を味わった。新たなウェブ世界の始まりを予感させるに十分な体験を、今年一年でさせてもらったと思う。
 
結論として、例えば10年後の2017年に自分が更に濃縮した時間生きていて、知らなかったことをたくさん知り、できなかったことがたくさんできるようになり、行ったことの無い場所をたくさん訪れ、すばらしい人たちにたくさん出会い、結果として豊かな人生を送っていたいだけなのかも知れない。その欲求を最大化したいという本能が、自分を突き動かしているのかも知れない。この本能に従って行うことはすべて、とても自然で楽しいプロセスである。よって、この本能に基づき努力するということ自体がとても自然で楽しい、ということになり努力と楽しさのベクトルが合致している状態と言えるだろう。 
考えるに、自分は今の時点で自分が知りうる最高のポジションにいる。けれども山を登りきった感はあまりしない。なぜなら、学ぶことに限界は無く青天井だからである。
楽しみはこれからである。
 
最後に、今こうして総括を書き終えた私は、2008年の大晦日に今日書いたこのコラムを読みながら「一年前の自分はまだまだだったなぁ」と感じている未来の自分と「時間を越えたトラックバック」を行っているのかもしれないと考えている。
 
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