水村美苗「日本語が亡びるとき」筑摩書房(2008年11月)★★★★★
- 作者: 水村美苗
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/11/05
- メディア: 単行本
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ネット上で様々な議論が巻き起こっている「日本語が亡びるとき」を読了。深く鋭い考察で書かれたこの本は、恐らく何らかの賞を受賞し歴史に名を残すことになるであろう。
さて、私はこの本の主旨を「日本語の行く末に関する問題提起」と捉えている。ネット上では様々な意見が飛び交っているが、現時点で「日本語が亡びる、亡びない」の結論を出すことは先を急ぎ過ぎているし、現実的に結論が出るはずもない。また、我々日本人にとっての問題は、亡びないようにするにはどうすればよいかということである。あくまでもこの本が示したのは、問題提起なのである。
言語、特に滅びゆく言語に関する知識が、他の国々および地域に住む人々と比較して相対的に乏しい日本人には、この問題自体が突然目の前に提示されたのであって、そもそもこの問題を考察するための情報そのものが極度に不足していると考えられる。
その多くが単一民族、単一言語である日本人は、ある言語の行く末に関して考察することはほとんどない。特に現代を生きる我々は、英語などの主要な外国語に断片的に触れる機会はあるが、そもそも絶滅に瀕する言語に触れる機会はほとんどないのである。しいて言えば、北海道を訪れた人がアイヌ語の存在を知り、その継承者がほとんどいなくなってしまっている実情を知る程度ではないだろうか。
このような認識に基づき、本コラムでの私のコメントは「日本語が亡びるか亡びないか」の議論ではなく、考察のための情報提供を行うことにとどめることにしたい。この情報提供は、私ができるとても小さな、ささやかなものであるが、言語というものを考察する上で有用と思われるため、ここに記しておきたい。
これは、私が今年の6月まで駐在していた台湾の話。もともと台湾にはオーストロネシア語族の先住民族のみが居住していた。一般的に「高山族」と呼ばれる9族(13族などに分類されることなどもある)と、「平埔族」と呼ばれる10族、合計19族に分類される。これらの先住民族は、互いに異なる文化、異なる言語を有していた。これが、16世紀にポルトガル人が台湾を船で通り過ぎ「発見」される前の台湾である。
その後、1650年頃には先住民族の40〜50%がオランダに統治される。これを機に、それまで文字を持たなかった先住民族の、一部の族がローマ字を利用するようになった。1662年、鄭成功がオランダ人を駆逐、台湾を「反清復明」の基地としたことから、漢人による台湾移民が始まる。この後、わずか20年あまりで、漢人の人口が先住民族に匹敵し、さらにはその数を超えるようにまでなった。一時、漢人の数が減ることもあったが、その後漢人の数は増え続け、1900年の時点で漢人が約290万人、先住民族の人口がわずか11万3000人となったのである。この過程で、平埔族は次第に漢化されていく。
もちろん、話される言葉は漢人が使う言葉(福建・広東両省出身者が主に使用する台湾語=閩南語、および客家人が使用する客家語)が中心となっていく。(ちなみに、台湾語と客家語、そして中国語(=北京語)は、それぞれ全く異なる言葉である)
1895年、日本が日清戦争で勝利し、1945年まで台湾を統治することになる。この50年間、当然公用語は日本語であった。
そして日本が敗戦し、国民党が本土から台湾に移住し始めると国民党による統治が始まり、公用語は一夜にして中国語(=北京語)に変更された。
以上からもわかるとおり、台湾の先住民族およびその後移住した漢民族ともに、政治の圧力でこれだけ多くの言語を押し付けられたのである。さらに現代を見れば英語を話す台湾人も多く、まさに様々な言語が飛び交う場となっている。こんな環境下に政治的孤立も相まって、彼らは台湾人というアイデンティティを探しつつも、私から見るとたくましくおおらかに生きていた。
私が紹介したかった2つのうちのひとつは、上記のとおり、台湾における言語のめまぐるしい変遷である。これほど何度も強制的に言語を変えさせられた国・地域は珍しいのではないか。
さて、私がもうひとつ述べておきたいのは、2007年夏に旅で訪れた台湾の東部の町、花蓮でのことである。
この花蓮という町は、先住民族「阿美族」が多く住む町。阿美族と言っても多くの部落があり、我々はある部落のお祭りを偶然にも見ることができた。そこで目にしたのは、漢文化とは全く異なる独特の服装、踊りである。
しかしながら一方で、司会者が話す言語は中国語である。やはり、時代の変遷により原住民の言葉は衰退の一途を辿っていることを感じた。
そのお祭りが行われている会場(公民館)の壁をふと見ると、なんと日本語と中国語が並べて書かれ貼られている。これは一体どういうことなのか。
聞けば日本統治時代、日本語は先住民族の各部族にも浸透し、異なる言語を有する先住民族間の共通言語として貴重なコミュニケーションの手段となっていたそうである。何よりも驚いたのは、その日本語が今も台湾の田舎の町に、貴重な共通言語として残っていたことである。これは世界どこを見ても、他にないことなのではないだろうか。
我々日本人は、日本語とは日本人や日本に関連する外国人のみが使用する言語だと考えている。しかし、台湾の一部の部族では、日本とは関係しないところで今でも日本語が使用されているのである。台湾では今日も、年配の方は先住民族、漢民族問わず日本語を流暢に話すことが多い。その日本語はとても丁寧で美しく、我々日本人が感動してしまうこともあるほどである。言語とは、とても不思議なものだと思う。
台湾での生活を通して、日本人とは何か、日本語とは何か、言語とは何かを、人よりは少し多く考えることができたのである。
最後に、繰り返すが、日本人には日本語の存亡についてを議論するための情報が絶対的に足りない。この素晴らしい一冊が我々に投げかけた大きな問題に対して、一人でも多くの日本人が真剣に向き合い、これから数年、あるいは数十年かけて本質的な議論をしていくことを期待したい。また、一人でも多くの人が日本という国を飛び出して、多様な視点で世界の現実を見て、感じて様々な視点でこの問題を考察することを望む。
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