渡部昇一「人生を『知的』に生きる方法」青春出版社(2006年11月)

人生を「知的」に生きる方法 (青春文庫)

人生を「知的」に生きる方法 (青春文庫)


尊敬する渡部先生の本。文庫本なので手軽に読めた。
重要なことが目白押し。

P3、「はじめに」より
(江戸時代の日本儒学の最高峰と言われた佐藤一齋の「言志晩録」から) 
少ニシテ学ベバ、則チ壮ニシテ為スアリ
壮ニシテ学ベバ、則チ老イテ衰エズ
老ニシテ学ベバ、則チ死シテ朽チズ

強烈な言葉です。
 

P23
「ブツクサいうだけの不満ならば、何の意味もない。けれども、不満を感じているところを
鋭く察知して、それを克服しようとする人、不満を解消しようといろんな方策をたてる人に
とっては、その不満こそが自分を前進させる目標になる。」
P24
「あることに対してくよくよ心を悩ませていても、問題解決にはならない。ところが、
問題があればあるほど、その解決策を考え、問題点をさばいていくことに喜びを覚えたり
できるようになれば、どんなに忙しく、どんな問題が生じてこようが、健康で陽気に
生きていけるということですね。(中略)つまり、神経を使わずに頭を使うべきである
ということです。」
P28
「自分の無能力が原因でうまくいっていないことに気づかなければならない。(中略)
要するに不平不満の原因が、自分の無能力からくるあせりだと気づくのが早ければ早いほど、
それだけ幸せへの早道だということなんです。」

不平不満を言う前に、すべての問題をまず自分の無能力のせいにして考えてみる習慣は
とても重要なことだと思います。自分にとって不都合なことを社会や環境、他人や上司の
せいにして愚痴を言うのではなく、自分から出発して自分にできることがないかをとことん考え、
考えうることすべてを実行する習慣を身につけることができれば、自分も成長するし
大方の問題は自分で解決できることに気づくでしょう。
しかしながら自分の意志ではどうにもならないこともあるのが事実ですから、
そのときは以下のように考えるわけです。
 

P68
エピクテトス、ダイアー、ヒルティなどを読んだ総括として)
「自分の意志の範囲にあることだけは自分が最善を尽くして処理してやる。一方、自分の
意志の外にあるものは、それはもう気にするな。」

この言葉は、渡部先生の別の本で知ったのだけれども、その後ずっと私の心の中に存在し続け、
座右の銘になっています。この言葉を知ってから、本当に楽になりました。
困難な状況にある友人に対しても、この話をすることがあります。
ただ、ここで注意しなければならないのは、「意志の外にあるもの」の定義だと思います。
「意志の範囲」と「意志の外」の境界線を間違えてはなりません。
前述のとおり大方のことは自分が主体となれば解決できるのですから、「意志の外にあるもの」
はできるだけ極小化し、「意志の範囲」すなわち自分がコントロールできる範疇を広げたほうが
結果としてはよいのです。これは、自分に甘い境界線を設定してしまうと自分の成長(=楽しみ)が
その分小さくなることになるためです。
 

P92
「ダーウィンがいっていることだけど、知能や才能などよりも、Mental Atitude(精神的態度)
のほうが、人間にとっては重要なんです。
長い人生においては、いろんな出来事や情報が入ってくるわけです。そのとき、それらの情報を
理解したり判断したりする知能よりも、それにどう対処するかという根本的な精神態度のほうが、
人間にとっては重要だということです。つまり、何かが起こったときに、どういう受け取り方を
するのか、ということ。
たとえば、『おまえは学校の成績が悪い。社会へ出ても通用しないぞ。』といわれたとき、
『やっぱりオレはダメかなあ』という受け取り方をするんじゃなくて、『確かに学校の成績は
よくない。だが待てよ。学校の成績が悪くたって努力して成功した人はたくさんいるじゃないか。
そうだとすれば成績が悪くたって、本当にやりたいこと、好きなことを一生懸命にやり続ければ、
芽が出るはずだ。』というふうにとらえれば、おのずと道は開けるわけです。
ダーウィンにしたって、小学校の頃はあまり成績がよくなくて、『おまえが妹のエミリィぐらい
頭がよかったら。』と父親を嘆かせていたにもかかわらず、進化論を確立するぐらいの大生物学者
になっている。そういう人はたくさんいるんです。(中略)ダーウィンやアインシュタイン
偏差値なんか当てはめていたら、彼らは日本の一流校にはどこにも入れないことは確かなんだから。」

自分に起こるすべてのことを受け止める、その根本の「精神的態度」で人生が大きく変わるという
のはここ最近自分でも気づき、「精神的態度」の再構築に励んでいるところだったので、とっても
勇気付けられた箇所でした。
 

P121
「絶えずいい習慣を身につけるように心がけていなければいけないんです。とくに最近は、周囲に
しつけのできる人がいなくなっているから、自分で自分のいいフォームを形づくるような努力が
必要になってくるんです。自らをしつけるといったようなメンタリティを強く持たなければ
ならないでしょうね。そういう心構えのある人は、どこかで違いが出てくるものなんです。
そして周囲もそれを認めてくれるようになるものですよ。」

「習慣」「自らをしつけるといったようなメンタリティ」を強く持つことの重要性は絶対に忘れては
ならないことだと思います。これを忘れるということは、成長の機会を自ら摘むことになりますし、
結局のところ人生の中の楽しみや時間を多く無駄にすることにつながります。
短い人生、そんなもったいないことできません。
 

P208
50を越えると違ってくるんです。もう成功なんかしなくてもいいからこの職業を保持できればいい、
という気持ちが非常に強くなるんですね。『人間 この未知なるもの』(三笠書房刊)の著者
アレキシス・カレル(フランスの生理学者)という人がそのへんをうまくいっているのですが、
人間はだんだんかたまりながら流れる液体のようなものであると。若いほど柔らかくて、
だんだん年をとって流れていくうちに固くなって、ついにカチンカチンになるというわけですね。」

私は良く友人に話をするのですが、最近の若者(といっても私と同世代ですが)は考え方が
20代後半で固まってしまっている人が多いと思うのです。確かに20代後半といえば、就職して
それなりに仕事も覚えて自分の存在価値や考え方が明確になってくる時期なので、自信というか
プライドのようなものが芽生えるのは分るのですが、それにしても「自分はこうだ」と決め付け
すぎてしまって、新しいこと、新しい考え方に触れようとしなかったり、簡単に頭から否定したり
する人が多すぎると思います。あらゆることがこれだけものすごいスピードで変化して、
行こうと思えば世界のどこにでも行ってどんな文化にも触れ合うことができる時代に、人生の早い
段階で自分をFIXさせてしまうのは大変もったいないことだと思います。
自分の核となる部分を持ちつつそれ以外はダイナミックに変えていった方が、過去の自分を
かたくなに守り続けるだけの人生よりも格段に、また劇的に成長していくし、結果として真の
「自分らしさ」や「オリジナリティ」が構築されるのではないかと思います。
だから、私がいつも細心の注意を払って気をつけているのは、変化を感じ取るアンテナを伸ばし
続けること、変化を恐れる気持ちをいかに払拭するかということです。
アレキシス・カレルがいう「液体がカチンカチンになる」ことこそ、人生の中で病気や事故に次ぐ、
もっとも恐ろしいことのひとつであるように思えます。
しかも、「液体がカチンカチン」になったことすら、自分自身は気づかないことが多いですし、
問題とも思わなくなってしまうわけです。さらには一旦「カチンカチン」になったら、
もうさらさらの液体に戻すことは不可能に近いでしょう。まったくもって恐ろしいことです。
いろいろ書きましたが、いろんな刺激を素直に受けて自分自身をダイナミックに変えていくほうが、
何よりも、毎日を自然に楽しく過ごせますよ。
 
渡部先生の本は重要なところがたくさんあるので、ついつい書きすぎてしまいました。
この本は年齢や環境を問わず、皆さんに読んでいただきたい本です。