「気流の鳴る音」に関するメモと考察3

P.53
価値感覚のズレは本質的なのだ。たとえば貨幣というものによってあらゆる個別の価値が通約され、決済され、抽象され、一次元化される「世界」と、時間は時間、原野は原野、海は海、生命は生命といった、けっして決済され抽象化されることのない個別の価値の次元性のあやなす「世界」と。(中略)小さな植物にひざまずき、カラスの声に予兆をききとって畏れるドン・ファン(メキシコ北部にすむヤキ族のある老人)の共感能力があれば、水俣病は起こらなかったはずだ。人間主義ヒューマニズム)は、人間主義を超える感覚によってはじめて支えられうる。(中略)視野狭窄と聴力障害、言語障害と平衡感覚の失調。テクノロジーの獲得した巨大な視界と対応能力は、喪われた視野と対応能力をけっして補償していはしない。

考えたこと

  • 人類が失った能力を取り戻すことはできないかもしれないが、それらを志向し続けることが必要。
  • インディアンなど先住民の一部は、今もなおこれらの能力を有している。彼らから学ぶことが今ならまだ可能なのかもしれない。
  • 自分が台湾の原住民に興味を持っているのは、無意識の中でこのことに気づき志向していたからである。

 
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