真木悠介「気流の鳴る音」ちくま学芸文庫(1976年)★★★★★

気流の鳴る音―交響するコミューン (ちくま学芸文庫)

気流の鳴る音―交響するコミューン (ちくま学芸文庫)


出会うべきときに、出会うべくして、本に出会う。
 
自分にこれほど大きな衝撃をもたらした本が今までにあったであろうか。
自分の人生をダイナミックに変えると同時に、自分のアイデンティティを過去にないほど
強化してくれる一冊。
 
「大きな衝撃」は、複数の「衝撃」から構成されている。
まだまだその衝撃の全貌を把握できていないけれども、分かった範囲で書くと以下のとおり。
 
1. この本のおかげで以下のことに気づくことができたという衝撃。

  • 自分がなぜ多様な分野に興味を持っているのか
  • それらの多様な興味の間にどんな関連があるのか
  • それらの興味を統合する自分の本質的な志向(メタな志向)は何なのか
  • 自分が人生において最も楽しいと思えることは何か
  • 自分が人生を通じて達成したいと考えていることは何か

 
2. 自分が考えてきたこと、直感で感じてきたことすべて一点につながっていたという衝撃。

  • 弁証法が人間社会、世界における自然法則ということだけでなく、宇宙を貫く真理であるということ
  • 現代人が忘れてしまった人類の感覚(共感覚など)を志向することはまだ可能であるということ
  • 学生時代に感じた実存主義に対する違和感は間違っておらず、その感覚は言語化できるということ
  • 多様性、時間性、身体性、同時性、同一性がキーになるということ
  • 結論は自分と世界の一体化であり、あの時の「宇宙を泳ぐ夢」がその象徴であるということ

 
3. セレンディピティが同時多発的に生じたという衝撃。

  • なぜ自分は、今、この瞬間にこの「気流の鳴る音」という本を手に取ったのか
  • なぜ自分は、「興味があること」というコラムを書いたのか
  • なぜ自分は、数日前に「モモ」という本を手に取ったのか
  • なぜ自分に、今、人生の大きな分かれ道(「考え」ではなく実際の分かれ道)が迫っているのか
  • 自分の無意識が、これらすべてのセレンディピティを招いたというメタ・セレンディピティ

 
本書において感動した箇所やそれらに対する私の考えは、複数回に分けて書くことにします。
 
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