立川談春「赤めだか」扶桑社(2008年4月)★★★★☆

赤めだか

赤めだか


NHKの週刊ブックレビューで紹介されていた本。
 
立川談春の修業時代が生き生きと描かれている。
談志の以外な側面や重みのある言葉、何をとっても面白い。
 
素敵な本である。
 

(P.69)
後年、酔った談志は云った。
「あのなあ、師匠なんてものは、誉めてやるくらいしか弟子にしてやれることはないのかもしれん、と思うことがあるんだ」
 
(P.72)
談志の話
「(中略)型ができていない者が芝居をすると型なしになる。メチャクチャだ。型がしっかりした奴がオリジナリティを押し出せば型破りになれる。どうだ、わかるか? 難しすぎるか。結論を云えば方を作るには稽古しかないんだ。(中略)いいか、俺はお前を否定しているわけではない。進歩は認めてやる。進歩しているからこそ、チェックするポイントが増えるんだ。もう一度、覚えなおしてこい」
現在の自分がこのエピソードを振り返って感じる立川談志の凄さは、次の一点に尽きる。
相手の進歩に合わせながら教える。
 
(P.74)
談志の話
「先へ、次へと何かをつかもうとする人生を歩まない奴もいる。俺はそれを否定しない。芸人としての姿勢を考えれば正しいとは思わんがな。つつがなく生きる、ということに一生を費やすことを間違いだと誰が云えるんだ」
「やるなと云っても、やる奴はいる。やれと云ったところでやらん奴はやらん」
弟子を集めて談志はよくこう語る。そして最後につけ加える。
「まァ、ゆっくり生きろ」
 
(P.94)
魚河岸で修行したとき
立派だと思う一番の点は、初日からこのペースで働かされれば、ケツを割る人間は二日目からもう来ないだろう。相手の了見をみるのにこんなわかりやすい方法はない。”一所懸命頑張ります”などと上っ面で云っている暇があるならまず働け、ダメだと思うなら辞めてもらって結構、辛抱なんかする必要はない。どの道人間生きていくためには、苦労、辛抱はつきものだが、我慢できる苦労とできない苦労がある。同じ苦労なら我慢できる苦労を選びなさいってことだ。
 
(P.115)
「負けるケンカはするな」が我が家の教訓で、それは相手から逃げるという意味ではない。勝てる、最低でも五分の戦いができるようになるまでは相手を観察し、研究する。そのために格好つけてる暇はない。至近距離まで飛び込んでみよう。
 
(P.116)
突然談志が、
「お前に嫉妬とは何かを教えてやる」
と云った。
「己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱味を口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬と云うんです。一緒になって同意してくれる仲間がいれば更に自分は安定する。本来なら相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。しかし人間ななかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。芸人なんぞそういう輩の固まりみたいなもんだ。だがそんなことで状況は何も変わらない。よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方がない。現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ、そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と云う」

 
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