渡部昇一「発想法 知識の泉を潤わせるために」PHP研究所(2008年6月)★★☆☆☆

発想法

発想法


1980年夏に、電通大学で「発想法」について講演した際の内容をまとめた本。
偉人たちがなぜ「発想」することができたのか、その方法が書かれている。
渡部先生自身のことはあまり触れず、偉人たちに関して有する知識が披露されている。
 

(P.40)
Resourceに「汲んでも汲んでも湧き出す」という語源的意味があった。これは泉や井戸を意味すると考えてもよいわけであるが、井戸や泉を涸らさない一番よい方法は何であろうか。
井戸なら深く掘ることであろう。さらに確実に水を涸らさない方法は、井戸を何本も掘っておくことである。
(中略)つまりリソースフルにんる一つの道は、自分の井戸の数を増やすことである。

自分の知的源泉(Resource)を涸らさないためには、その道を深く知ることに加え、
何本もの道を持つべきだということである。
 
複数の道を持っていなければ、ひとつのことを極めたときに、次のステージへ
以降することができず、頭打ちとなってしまう可能性があるということだろう。
 
もちろん、「広く浅く」ではいけないので、何本もたくさんの道を持つことは
できないが、少なくとも2〜3本の道は用意しておきたいものである。
なお、これら複数の知識の組み合わせが、新たなものを生むことも
多々あるのである。
 

(P.108)
人間はきわめて限定された状態にあっても新しい発想、新しい発見をする。

日本が敗戦とともに占領され、外交官も商人も新聞記者も海外に出ることができず、
手紙ですら外国とは交際ができなかった。
 
それまで海外を放浪してきたきだみのるは、海外に出ることができず、
苦痛極まりない状態の中で思い悩む。
 
そして彼は、ふと、自分が住んでいた村の生活の記述をはじめる。
彼が住んでいた集落は902世帯、人口5,132人。
これほど小規模な集落を舞台として、彼は日本の農村社会に関する最善の
書物を残すことになるのである。
 

(P.131)
離島や、その他の社会通念的に恵まれない環境で育つことも、見方を変えると、かけがえのない貴重な発想の泉になる。転勤の多い父を持った子供や、海外からの帰国子女たちは、入試などでは損をする立場になるかもしれないが、発想の泉という点から見るならば、実に恵まれた人ということになる。
ただしそれは、自分の体験の一つ一つを、宝玉のごとく大切にし、想起し続けるという心がまえが必要である。そうすれば、辛かったり、ひどい目にあったりしたことのほうが、かえって発想の豊かさに連なることを発見するであろう。
不幸な、あるいは恵まれない体験ほど、恵まれた体験であるという逆説も成り立つ。

最後の一文は、私自身がいつも考えていることである。
逆境にめげない。
向かい風の中でも得るものは必ずあると思い続ける。
 
そうすると、実は平時よりも多くのことを学ぶチャンスであることが分かるのである。
そして時間が経過してみれば、「あの体験があったから、今の自分がいる」
と言えることが多いのである。
 
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