自分を革新したい、いや、革新せねばいけないという気持ち

以前から、「自分を革新したい、いや、革新せねばいけない」
という気持ちを持ち続けてきた。
むしろ、その気持ちを持ち続ける努力を重ねてきたと言った方が的確かもしれない。
 
自分に自信を持てたときほど、まだまだだと自分に言い聞かせ、
自分は本当にダメだなぁと落ち込むときほど、自分が過去に成長した瞬間を思い出す、
そんな習慣がこの歳になってやっとわずかながら身についてきたような気がする。
 
現段階でその成果には満足できていないものの、少なくともこのような思考方法で
自分を立て直す方法をわずかながら身につけられたのは、やはり何事にも挑戦し、
いろいろな人の話を聞き、いろいろな本を読むよう最近意識し、努力していることが
影響していると思う。
 
何もせず、内向的に、哲学的に思考をめぐらせているときよりは、やはり活動している
ときの方が謙虚で前向きな気持ちを持てるのではないか。
自分の思考パターンを理解し、フィードバックし、時に戒め、時に利用できる
ようになってきたのは、大きな進歩かもしれない。
 
これが一点目。
 
その反面、その進化スピードは止まっているかのごとくまったくの不十分で、
人から見れば笑われるほどで、自分を責めたいほどのことであるとも思うときもある。
 
まったく違う国、違う生き方、違う職業ではあるが、あきらかに
その活動、進化内容は自分の数倍から数十倍で、
自分が想像できないほどはるかに濃厚で、有意義な人生を送っている
茂木健一郎さん、Mike Portnoyさん、渡部昇一さんみたいな人たちを
(限られた一側面からだけだけど)見ていると、
自分の愚かさ、怠惰さ、無能さに打ちひしがれることがある。
 
自分はこの貴重な人生を眠っているように過ごし、時間を活用しようとせず、
挑戦するときには必ず躊躇し、あきらめやすいと自責する。
 
これが二点目。
 
どんな人でもその成長は青天井だから、結局はこの二つの間の混沌に囚われ続け、
逃げ出せないことは分かっている。
だからそれを悲観視して嘆くのは時間の無駄であることを知っている。
 
10年ほど前に気づいたこと。
それは、ひとつの物事に対して悲観的に考え、同時に楽観的に考えることが
必要であるということ。
また、その考える度合いが広ければ広いほど柔軟に物事を捉えられ、
冷静な判断とともに最善の選択、処置ができるのではないかということ。
 
悲観的に考えながら楽観的に考え、主観的だけれど客観的に物事を捉え、
冷静だけれど熱い気持ちを持って、人生で直面する大小のイベントに
挑めたらと思う。
 
この考え方を追求していくことが、自己革新に直結すると信じている。
 
少しでも良いから、毎日革新したい。
できれば毎時間革新したい。
 
この意欲がなくなることが、もっとも不幸なことだと思う。
一度なくなると、取り返すことができなくなる可能性が高い気がする。
だから、この意欲がなくならないようにどうすればよいかを常に考えている。
 
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