内田樹「先生はえらい」ちくまプリマー新書(2005年1月)★★★☆☆
- 作者: 内田樹
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2005/01
- メディア: 新書
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すごく良い本です。
このようなことを教えてくれる人はほとんどいません。
ぜったい読んでおくべき。
- 私たちが口にする「自分が思っていること」は、相手によって変わる。(中略)人間が自分について語ることは、それを聞いている相手と自分のこれからの関係をある程度決定する。だから、私たちは相手にどう思われたいのかを絶えず配慮しながら、自分自身の意見や、願望や、記憶を語り出す。
- 「今の私」というのは、無数の「私がそれであったかもしれない私、私がそうなるかもしれない私」を控除した「残り」。そういう無数の「可能性としての私」を縦横にずらりと並べてはじめて、「今、ここにいる、当のこの私」がとりわけ何ものであるかということが言える。哲学では、この「控除された無数の私の似姿」のことを「他我」(alter ego)と呼ぶ。
- 二人の人間がまっすぐに向き合って、相手の気持ちを真剣に配慮しながら対話をしているとき、そこで話しているのは、二人のうちのどちらでもないもの。
- コミュニケーションはつねに誤解の余地を確保するように構造化されている。
- 人間の個性というのは、言い換えれば、「誤答者としての独創性」。あるメッセ―ジを他の誰もそんなふうに誤解しないような仕方で誤解したという事実が、その受信者の独創性とアイデンティティを基礎づける。
- 沓(くつ)を落とす人。
- 「待ち」に居着いている人間は、絶対に相手の先手を取ることができない。(中略)「謎」を解釈する立場というのは、「謎」をかけてくる人に対して、絶対的な遅れのうちに取り残されるということ。(中略)解釈者の位置に身を固定させるということは、武道的には必敗の立場に身を置くということ。相手に先手を譲って、それをどう解釈するかの作業に魅入られるというのは、構造的に負けるということ。
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