また振り出しに戻ったけれども

人生は螺旋階段を上るようなものだと考えている。
 
しばらくすれば同じところに戻ってくる。
しかし見る角度を変えれば、少し上に上がっているようにも見える。
それをただただ、繰り返す。
 
生きていて苦しいのは、自分としては結構高いところに上ったつもりでも、
同じところに戻っただけで、まったく上に上がっていないような感覚に
とらわれること。
 
結局、物事をどの角度から見るかによって、そう、主観によってその結論が180°変わるから、
ときには螺旋階段ではなく、単に同じところに戻ったような気がする。 
そして、その感覚にとらわれると、容易にはそこから抜け出すことはできない。
 
けれども、それはきっと螺旋階段であると信じたい。
少しであっても、高い位置に上がっていると考えたい。
 
ふと思えば、自分の心は、いつもぎりぎりのところにいる。
どちらに転ぶかは紙一重。
この不安定感が安定感を生む大きな要因という矛盾。
 
自分の人生に、大きなものがぶつかってくる。
それを避けずに、自然体で受け止める。
そんな繰り返しの人生。
 

We move in circles
Balanced all the while
On a gleaming razor's edge
A perfect sphere
Colliding with our fate
This story ends where it began
Dream Theater "Octavarium")

 
今の自分の心境は、この詩と酷似しているように見える。
しかしながら唯一、そして絶対的に異なるのは、この詩が「振り出しに戻る」という
表現をしているのに対し、私は完全な振り出しではなく螺旋階段的に上に
上がっていけると考えていること。
 
私のこの主張は幻想かもしれない。
しかし、それを信じたい。
 
自分にぶつかってくる大きな大きな球体が、加速度を増して迫ってくるのが
今、自分には見えている。
それを悲観的にでも楽観的にでもなく、ただ、待っている。
 
I'm just only waiting for something new what I never imagined.
At the same time, I'm already aware that it is the thing I already know.
Let's go to next stage I walked in the past.
 
挑戦之後有可能我回来已經知道的地方。
有可能下一條新的路就是我已經知道,有可能這條路是圓形的東西。
猶如我的路是圓形的東西、我知道我一定要重做先走先走。
 
歩みを進めるとき、そこに感情は不要である。
 
★↓ランキングに参加中。ワンクリックするだけで投票になりますので1日1回クリックをお願いします。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ