茂木健一郎・南直哉「人は死ぬから生きられる」新潮新書(2009年4月)★★★★★

人は死ぬから生きられる―脳科学者と禅僧の問答 (新潮新書)

人は死ぬから生きられる―脳科学者と禅僧の問答 (新潮新書)


自分が今までに築いてきた論理や思考を破壊する威力を持った本。
ある意味では危険極まりないが、同時に自分の可能性を爆発的に拡げるすさまじい力を
もった衝撃的な本である。
 
今はまだこの本の衝撃を素直に受け止められるほどの位置にいないのは明白だけれども、
将来、十年単位で自分の人生を振り返ったときに、この本に出会えたのとそうでないのでは
大きく道が異なっているだろうことを直感することはできる。
 

  • 道元禅師は、「仏向上事」、仏のさらに上を目指せ、悟りを捨ててまた悟れ、と言った。
  • 仏教は苦しみがなくなるとか、苦しみが全くない世界に行けるという話ではなく、苦しくても生きていけるようにする道を示すもの。そこには矛盾と苦があって、それがないものでは生命ではない。
  • 一つの解釈はいずれ裏切られる運命にある。
  • インテリの人というのは、自分の手持ちの秩序の中で理解したがる。それで安心したい。多義性を殺いで、一定の解釈の中に収めたい。
  • 一定の条件にならないと一人の自分にならない。自意識というのは一定の秩序や制度の中でしか固まっていかない。
  • 私は生より死のリアリティの方が高いと思う。つまり人間は、皆死ななければならないけれども、必ずしも、みんな生きていなければいけないわけではない。人は死ぬから生きられる。死のリアリティが浸透してくると、生の強度そのものが下がっていく。リアルなものというのは、普通は生きているうちにあるものだと思っているけれど、私には死のリアリティの方が圧倒的に強い。むしろ、生きていることの方が幻想的だと思える。
  • ブッダの言葉「世の中にはいろんな考え方がある。この世はすべて因果で決まっている、運命で全部決まっていると。そう言って私の考えを否定する人がいる。またある者は、絶対神がいてこれがすべてを決めていると、私の考えを批判する。またある人間は、何もかも全部が偶然の産物であると。そう言って私の考えを否定する人もいる。」
  • 本来的に人間は、他人を経由しなければ自分を構成できない。他者の視線に決定的に依存している。すべては関係性において存在する。
  • いろいろな問題について考えるとき、どのぐらいの思考の深さに至れるかということが、知識の量やロジックの強度で決まるのではない、ということです。どのぐらい自分の内面についてメタ認知ができていて、言語化できているかということに依存するのではないか。要するに意識や自我について語るとき、どのぐらいのセルフリフレクションというか自己反省をしてきたかによって、ある理論やモデルの伸びしろが決まってしまうということ。
  • 理解するとかわかるというのは、わからないことを隠すこと。
  • 何かを学習、理解するということは、その瞬間に理解できないことが立ち上がっていかなくてはいけない。
  • 破綻している。存在するということというのは、根本的に破綻している。破綻しているものが存在している。

 
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