河合隼雄・茂木健一郎「こころと脳の対話」潮出版社(2008年7月)★★★★☆

こころと脳の対話

こころと脳の対話


限りなく5つ星に近い本である。
 
お二人の対談は、何だかとってもすごい次元の話をしていて、強烈なインパクトがある。
それは、日常および科学主義から一線を画す「余裕」のようにも映るし、確固とした
哲学のようでもある。
 
やはり、世の中にはすごい人たちがいるものである。
 

(P.25)
河合:わかりやすくいうと、僕らが生きているということ自体、ものすごく無理をしているわけでしょう。それを無理しているだけではもたないから、寝たときに調整するわけです、全体性のなかに。その全体性のなかに調整する動きを、脳の中で視覚的に把握したものが夢ではないかと、僕はそう思ってるんです。

ユング派に属し、夢の中にその人の無意識を見る河合氏。
無意識という得体のしれないものを扱いながら、その人そのものを見つめていく。
夢の役割が全体性の中に調整する動きであるという考えについて、私自身は現段階で同意するための
十分な知識や考えが無いので何も言えないけれども、人間というのは追及すれば無意識をも相手に
することができるということ自体がとてもインパクトがあって、人間の可能性を考えさせられた。
 

(P.71)
河合:僕がよくいうのは、話の内容と、こっちの疲れの度合いの乖離がひどい場合は、相手の病状は深い、というんです。
たとえば、こられた人が「人を殺したい。自分も死にたい」とかそんな話をしたら、しんどくなるのは当たり前でしょう。そうではなくて、わりとふつうの話をして帰っていったのに、気がついたらものすごく疲れている場合があるんです。その場合はもう、その人の病状は深い。
(中略)それはやっぱり、こちら側が相手と関係をもつために、ものすごく苦労してる証拠ですね。話のコンテンツは簡単なんですよ。それではないところで、ものすごい苦労しているわけ。
(中略)だからね、そういう人はかわいそうに、やっぱり人に嫌われるんです。そうでしょう。なんかそういう人と会っていると、みんなしんどくなるから。その人はなにもそんなことわからずに、自分は一生懸命になって人と話をして、「普通に話しているのに、なぜ嫌われるんでしょう」というんだけど、実際、みんなしんどくなってくる。

自分が今までに考えたことも無かったこと。
これはとてもすごい話である。
 

(P.108)
河合:いまの世の中は、そいういう因果的な思考でがんじがらめになっている。

現代を生きる我々は、因果関係に縛られ過ぎているという。
「旅行に行くからガイドブックを買う」
などという、因果的な思考ばかりが求められ、実際にそのように行動している。
河合先生は、非因果関係を楽しめという。
そこに、もっと余裕をもった生き方、考え方、楽しみ方があるのである。
 

(P.146)
河合:やっぱり僕らの知覚というのは、どうも言語に頼りすぎているんですよ。言語表現に頼りすぎているけれど、本当は僕の体験なんかでいうと、言語で表現されているのは一部分でしょう。
例えば、「どうでした?」と訊いて「ああ、おもしろかったですよ」といったって、たんに「おもしろい」いうようなもんやないでしょう。ほかに、ものすごいたくさんありますね。それをいちおう「おもしろい」という言葉にしているわけです。

あたかも言語万能主義のように、日々新聞を読み、本を読み、メールを書く。
しかしながら本来は、言語に表せない、それこそクオリアのようなものが人間にとって不可欠なのだ。
 

(P.151)
壁に向かって話すのはだめだし、自分で考えると、絶対、堂々めぐりします。ところが生きている人間が正面から聞くと、堂々めぐりが止まるんです。

困っている人の声にじっくり耳を傾けてあげよう。
自分が困った時は、信頼できる人に話だけでも聞いてもらおう。
 
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