梅田望夫「ウェブ時代をゆく」ちくま新書(2007年11月)<再読>★★★★★

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)


梅田望夫さんの「ウェブ時代をゆく」を再読。
 
自分の将来を徹底的に考えたいと思い、過去に得た知識や関連する本を手当たり次第に探っていたら
この本に辿り着いた。
 
私自身、ここ数年、貪るようにたくさんの本を読み、たくさんの新しいことに触れ、「何か」を
求め続けてきた。
それは単なる知識の習得というよりも、一秒一秒を有効活用して自分の可能性を極限まで拡げたいと
いうことと、自分が本当に好きであるものを見つけたいという気持ちがあったのかもしれない。
 
最近は「人生や生き方に関する良きアドバイス」をしてくれる大人が非常に少ない。
そんな中でこの本は多くの若者を救う可能性があると思う。
この本を再度「今の自分」として読み終えた今、自分の中に沸き起こる何かがある。
この瞬間のために、たくさんの本を読んできたのだと強く認識している。
 

(P.102)「一人で生きるコツ」
あらゆる面でネットを活用すること。自分の志向性や専門性や人間関係を拠り所に「人にしか生み出せない価値」(さまざまな要素からなる複合技)を定義して常に情報を発信していくこと(ブログが名刺になるくらいに。自分にとって大切ないくつかのキーワードの組み合わせで検索すると自分のエントリーが上位に並ぶようなイメージ)。自分の価値を理解して対価を支払ってくれる人が存在する状態を維持しようと心がけること。コモディティ化だけは絶対にしないと決心すること。自らのコモディティ化に対してだけは「Paranoid」(病的なまでの心配性)であるべきで、その予感があったら必ず新しい要素を自分の専門性やスキルに加えていくこと(そのときも高速道路を大いに活用しよう)。積極的に人間関係を構築し、人との出会いを大切にすること。組織に属するときでも「個と組織の関係」においてきちんと距離感をとって、組織の論理に埋没せず、個を輝かせようと努力すること。

どのような環境下であっても、考えようによっては得るものは確かにたくさんあるのは間違いない。
しかしながら、その得ることができる量や度合というのは、自分がその環境に適応すればするほど、
反比例して少なくなっていく傾向もある。(もちろん、新たなステージで新たな課題に取り組めば
得るものも多いのだが)
それが、実はコモディティ化への第一歩であるような気がする。
自分の中で強く立ちあがってくる危機感は、コモディティ化への恐れなのかもしれない。
 

(P.104)「傷つきやすい人はけものみちで挫折しやすい」
誰かにちょっと断られたからといって、すぐに傷ついてはダメだ。(中略)ある人が発している信号を、誰か別の人がしっかりと正しく受け止めるなんてことは、そもそもとても難しいことなのだ。

ナナロク世代である我々は、個人差は当然あるものの、全体的には特に「うたれ弱い」世代の
ような気がする。
時には大胆に「オプティミスティック」になって、立ち向かってやろう。
 
最後に、P.189-199に書かれている下記3つの項は、自分の背中を強く推してくれるものだった。
この本に出会えたこと、梅田さんのような人を知ることができたことに心から感謝である。

「三十歳から四十五歳」という大切な時期を無自覚に過ごすな
自らの内部にカサンドラを持て
「古い価値観」に過剰適用してはいけない

 
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