武者小路実篤「真理先生」新潮文庫(1952年6月)

真理先生 (新潮文庫)

真理先生 (新潮文庫)


中学生の頃に偶然出会って読んだ、思い出深い本を再読。
 
人とか物とか場所とか、いろいろなものと出会い、出会って何を感じるか、考えるかで
自分の人生が少しずつ変わっていくのだけれども、この本は私の人生を多かれ少なかれ
変えてくれた本だったと思う。
 
この本に出会った当時、思春期ということもあったのだろう、かなりいろいろなことを考えていた。
どうして自分は生まれてきたのか、皆死んでいくのになんで努力しなければいけないのか、
どうせ死ぬのだから今死んでしまった方が良いのではないか、などをひたすら考えていた
時期であった。
 
その頃は「哲学」なんていう言葉も良く知らなかったし、ましてや「真理」とはどのような
ことかなんて具体的には考えていなかった。
要は、自分がひたすら考えていることがいったいどんなジャンルのことであるかも分からないし、
みんなが自分と同じようなことを考えているのかどうかすら分からなかったのである。
 
中3の夏休み、こんなことを真剣に考えているのは自分だけではないことを知った。
ある晩、きっかけは忘れてしまったが友人のHくんとこんな話になったのである。
彼は他のみんなとは一味違い、成績はよくないがすばらしい考えを持った人だった。
彼はアタマが良すぎて学校に疑問を持ち、非行に走り、登校拒否が続いていた。
そんな彼の家に泊まりに行ったその夜に、お互いが考えていることをぶつけ合って、
あまりにも同じ事を考えていたから二人で感動したのだ。
(ちなみにこの友人Hくんは、その後大学へ進み、20歳代で市議会議員に立候補するも
 残念ながら落選している)
 
この夜の前後、この本「真理先生」に偶然出会った。
どうして本屋でその本を手に取ったのかはまったく覚えていない。
誰かから紹介されたわけでもない。
まったくもって不思議な出会いだったのである。
 
中学生ながらこの本を読んで、自分が考えているのは「哲学」ということである、
自分が追求しているのは「真理」というものである、ということが分かった。
 
哲学に少し興味があるけれども難しそうだと思い踏み出せないでいる人は、
まずこの本を読んでもらいたい。
中学生でも分かる言葉で、非常に明快に哲学とは何か、なぜ真理を追究するのかが
明確に書かれている。
 
すでに数回このブログで書いたけれども、「自分は幸運だな」といつも思う。
特に「出会い」の幸運はすごい。
この幸運について、半分は説明できるのだけれども、あと半分が説明できない。
説明できる方は、「セレンディピティ」という概念を知ってから明確に説明できるようになった。
説明できない方は、いつ説明できるようになるのだろうか。