突っ走ろうっと

19:30からの地域研究ミーティングが長引き、深夜1:00に帰宅。
 
家に着いてすぐ、
「忙しいが暇よりは良いな」
とあらためて思う。
暇は本当に耐えられない。
 
週末などに丸一日することがないと、しょうもないことを
考えて悲観的になる、哲学的に考え自己嫌悪に陥ることがある。
こんなことを避けるために、予定は極力先まで埋めて
しまうべきである。しかも、ヨリ具体的な予定を。
これは仕事でもプライベートでも同じで、
「自分には無理だな」
と思うくらい詰め込んでしまった方が結果的には良い。
忙しければそのスピードに合わせて全力疾走するから
神経が研ぎ澄まされ、覚醒に近いモードに入る。
この状態に入ると、ヨリ論理的に最短スピードで
物事を考えるようになり、同時にいくつものことを高速で処理し
とっても疲れるが、なんだか楽しいのである。
 
後になって考えたとき、こんな感覚が多くあった方が、
思い出に残るし、誇らしくもある。
これがアイデンティティなのかな、とも思う。
そういえば、こんな感覚は小さい頃からあった。
この感覚を味わうことが多ければ多いほど、
哲学的発想は科学的発想へとアウフヘーベンされ、
悲観的発想は前向きな発想へと変わる。
 
約10年前から考えていることだが、何事に対しても
「どこまで予想できるか」が人生を大きく左右すると思う。
たとえば、
・自分がこのようなことを言ったら、相手はどう思うか。
・自分の会社は10年後どうなっているか。
Web2.0の社会がさらに爆発的スピードで進化するとどうなるか。
・地震があったとき、どのように対処すべきか。
・仮に食生活に気を配らなかった場合、どのような病気になるか。
・自分の競争力を向上させなければ、どのような老後になるか。
・生命保険をかけていなければどうなるか。
・プライドのみ高く、人の意見に耳をかさなければどうなるか。
などなど
 
上記のことを、極力正確に予想できれば、その人生は
そうでない場合と比べて、とんでもなく明るい人生になるはずである。
当然、上記の例を見てもわかるとおり、あらゆる分野のことを
考えねばならないし、それぞれを予想するためには
その事に関して詳しく勉強せねばならない。
いうまでもなく努力せねばならない。
謙虚にならねばならないし、論理的に考えて行動しなければならない。
それって結構大変だし、現実的に不可能だよな、とも思う。
 
一方で、たまにとんでもなくすごい人に出合うこともある。
常に何かに対して必死に取り組んでいて、何でも知っていて、
いろんな人に会って、新しいことを知るとすぐにチャレンジして、
またどんどん新しいことを知っていくという、
スーパーマンである。
「この人って本当に一日が24時間なの??」と思うことがある。
きっと、こういう人たちは、普通の人の5倍も10倍も
一回の人生を楽しんでいると思う。
幸い、私は今までにこんなスーパーマン何人かに出会うことができた。
これらの出会いは、私の人生にとてもプラスになっていると思う。
 
ただ、どんなにすごい人であっても、世の中で起きている
1%のことも知ることができず人生を終えていくのだ。
大きな観点から見れば、ドングリの背比べ。
不思議なものである。
 
つらつらと考え事をしていると(Train of thought)
話がどんどん飛んでいってしまうが、
あらゆることは、上記のように2つの側面からまったく異なる
観点で考えることができる。
また、それを行ったほうが良いと確信している。
 
具体的に言うと、物事を考えるとき、下記の方法で行えば
もっとも良い結論がでると考えている。
・長期的見地で考えつつ、短期的見地でも考える
・広く浅い観点からと、狭く深い観点から両方考える
・悲観的に徹底的に考え、同時に楽観的に考える
・主観的に考える一方で、徹底的に客観的に考える
一見矛盾するかもしれないが、これを徹底できたときほど
人を説得できる結論が出るし、何よりも
後から考えたときに自分が納得いく。
 
思考スピードというアクセルを緩めた瞬間、一気に
論理的に考える力が衰える。
だから自分には、全速力で走り続けることが必要である。
そのために自分で仕掛けを作る(予定をどんどん入れて
自分を新しいチャレンジの領域に追い込む)べきなのである。
 
と、最近の自分を戒めてみました。