Octavarium②

人が「変わる」というのは、ある時は難しいようで易しく、
またあるときは易しいようで難しい。
変わろうって思って変われないこともあれば、
変わりたくないのに変わることもある。
すごく時間を要することもあるし、あれ、と気づいたら
変われていることもある。
・・・という風に考えるのは勝手だし、主観的だ。
 
「変わる」というのは受身。
「変える」というのは自発的。
とはいっても、自分の真ん中を貫く本筋のところを
変えたり、気づいたら自ずと変わっていた、ということは
ほとんど無いのではないか。
 
なんらかの恐怖体験で、悪い方に大きく変わってしまう
ことはあるのかもしれない。
確かに、良い意味で成長している、変わっていると
感じることはあるだろう。
ただしそれは、一見大きく成長しているように感じていても、
実際その「感じ」が長く続くことは無く、そう感じれば
感じるほど自分の未熟さが更に見え、気づいたらその
先は見えず、真っ暗闇に向かっていると感じる・・・・
   
一所懸命、そう、螺旋階段を駆け上るように上に向かって
進んでいるつもりでも、今とは異なる時間の自分自身が
同じことを考えたとき、まったく上にあがっていない、
くるくると同じところを回っているように見えるかもしれない。
また、将来自分が死に行く際に人生を振り返ってみたとき、
その人生の結論は、実は小学生の頃に気づいた、
とっても小さなことと同じかもしれない。
 
昨日は、変わりたくても変われない日だったが、
今日は、あれ、と気づいた日だった。
明日は、どんな日になるだろう。きっと昨日と同じことを
考えるだろうな。
 
考えても考えても、前にひたすら走り続けても、
ドレミファソラシの次は、必ず「ド」がまた戻ってくる。
その「ド」をどのように捉えるかで、大きく人生は変わる。
結局、また同じところに戻ってきた、と悲観的に考えるか。
それとも、確かに「ド」にまためぐり合ったが、
同じところではない、OCTAVEがあがったではないか、
と考えるか。
 
このどちらと考えるかを決めているのが、自分を貫く根幹の
部分だから、この話もOctavariumなのだけど。