カルロス・カスタネダ「時の輪 - 古代メキシコのシャーマンたちの生と死と宇宙への思索」太田出版(2002年)★★☆☆☆

時の輪―古代メキシコのシャーマンたちの生と死と宇宙への思索

時の輪―古代メキシコのシャーマンたちの生と死と宇宙への思索


唯物論と観念論について10年ほど前にかなり考えた結果、いったんは自分は唯物論者であるとの結論に至ったのだけれども、その後、少しずつその考え方が変わっていった。

そもそも人間というのは頭で意識的に認識したり理解したりすること以上に、身体で知覚したり無意識の中で考えていることの方が多いと思われるので、自分自身は自分のことを客観的に認識することなど決してできない訳だから、唯物論と観念論という二者択一の答えは出せないはずと気づいたのである。さらに構造主義的な立場から考えると、今の自分というのは自分が育った時代や環境、多様に見えながらも実は非常に限定された世界観に依存しているわけで、自分が考えることそのものが非常に小さな世界の中で行われているということにも気づいた。

このように自分の認識や見地そのものを疑ってみると、現代を生きる我々が忘れかけている人間の力、つまり知覚する力、身体性、現代人とは異なる時間感覚や宇宙観に興味が湧いていった。

真木悠介の本を読むといつも自分の既成概念を根本から疑うことになるのだけれども、「時間の比較社会学」は特に強烈で上記の気づきを確信させるに十分な内容だった。その本の中で頻繁に登場するのが、カルロス・カスタネダと彼が師と仰いだメキシコのシャーマンであるドン・ファン・マトゥスである。

このカルロス・カスタネダの著書「時の輪 - 古代メキシコのシャーマンたちの生と死と宇宙への思索」の内容は現代人から見るとほとんど理解できなかったり作り話に見えたりと受け入れがたい箇所が多いけれども、そもそもそう考えてしまうこと自体、私たちが現代の価値観に支配されている証であると考えると、まずは自分の考えや感じ方を棚に上げてこの内容をいったん受け入れる必要が出てくる。

ドン・ファンがカスタネダに教えようとしたことのひとつが、明らかにそういうことであった。

われわれが生まれ落ちたときから、人びとは、世界とはこうこうこういうもので、あそこはこうなってああなっているなどと、教え続けてくれている。だから自然に、人びとに教えられ続けた世界だけしか、われわれには選択する余地がなくなってしまっているのだ。(P.100)

さて、人の時間感覚というものは、人がひとり生きている時間、および自分が目にしたことのある家族や動物、植物、物事が元となって構築されている。だから私たちは時間というものを、私たちが生きる時間をはるかに超えた長いスパンで考えることが本質的にできない。しかしながらこの呪縛を振りほどき、人間存在の位置付けや宇宙全体との関わりを大きな時間性の中で考えるとき、それは固体ではなく明らかに気体や液体のようなイメージが生まれる。時間軸を大きくとれば、人間を含む宇宙の中のあらゆるものはまったく別のものとなり移ろいゆくからだ。

人間は、物体などではない。固体でもない。どこにも角のない、光を発する存在で、果てしなくどこまでも広がっている。「物体」とか「固体」の世界は、単なる言葉の描写に過ぎないもので、人間が地球における過し方を便利にするために、人間を助けるためにつくりだしたものなのである。(P.130)

先述のとおり、人は誰でもその時代、育った環境などに支配された世界の中で限定的に価値観を構築しているのだが、その自分の眼から物事を見るという行為そのものを放棄しダイナミックに「ずらす」ことで、そこに大きな飛躍が生まれるのである。

人間の最大の欠陥、それは理性の目録の前にくぎづけにされたままでいることだ。(P.228)

戦士の行うことはすべて、彼らの集合点の移動のなせるわざであり、そうした動きは、彼らが自在に扱えるエネルギーの量に左右される。(P.263)

集合点がどのような動き方をしたとしても、それは、個々の自我への過度な関心から遠ざかる動きを意味する。シャーマンたちは、その集合点の位置こそが、現代人を、自己のイメージにがんじがらめになった人殺しのエゴイストにしていると信じている。万物の源に帰還するという希望を永遠に喪失してしまった並みの人間は、おのれの自我のなかに慰めを探し求める。(P.264)

並みの人間としてのわれわれには、人間に与えられている知識のもっとも重要な部分が、見えていない。それが集合点の存在と、それが動きうるという事実である。(P.268)

恐らく、ドン・ファンやカスタネダが残した言葉というのは、いつその言葉に触れるか、どの視点やどの立場から触れるかによって大きくその姿を変えるのだろう。彼らが残したかったことは、人間が持つ果てしない能力と、それに気づき続けるための構造主義的思考そのものだったのかもしれない。

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