南直哉「なぜこんなに生きにくいのか」講談社インターナショナル(2008年11月)★★★★☆

なぜこんなに生きにくいのか

なぜこんなに生きにくいのか


長い時間をかけて深く考え抜かれた思考を、とても分かりやすい言葉で表現しているすばらしい本。
 
本書には、現代を生きる我々が抱える根本的な課題が明確に示されている。
このようなテーマについて語るのは、現代において敬遠されやすいが、実は我々が最も求めている
ことなのではないだろうか。
 
本やブログなどを通じて、どんどん南さんの意見を出力していっていただきたい。
 

・自殺する人は、孤独です。とても孤独なのです。(中略)単なる生活苦などでは自殺はしません。自分は人から見放されてしまっているという絶望こそ、決定的に苦しいのです。
・私たちの存在は、課せられたものです。生まれる前に、「この世に誕生しますか?」「はい、誕生します」といったやりとりがあって、自ら選んでこの世に生まれるわけではありません。まわりの意志により、生を享け、誕生するのです。
・人間の苦しさや寂しさの根本にあるのは、自分であること、生きていることが「課せられた」ものであるという厳然たる事実です。
・まず、「本当の自分」などどうでもいいと思うこと。「自分はわからなくて当たり前だ」と決めてしまったほうが、ずっと楽に生きられるはずです。それより、いったい自分は何を大切にして生きたいのか、誰がいちばん大切な人なのかを考えるのです。(中略)自分の輪郭というのは、そうやって人と付き合い、経験を積んでいけば、おのずからできてくるのです。
・現実には、夢が減っていくのが大人になっていくということです。大人というのは、一つずつできないことがわかっていく――夢を失っていくことに耐えることが、大人になるということなのです。
・自分の無意味さがあらわに出てくるのが、退屈という感情だと私は思うのです。だから、人は退屈を嫌がるのです。誰だって「自分の無意味さ」からは目を背けたいものです。
・人を敬わない人は、自分も敬われません。(中略)まず自分が人に対して、まわりとの関係において、相手を敬う気持ちがあるかを考える必要があるのです。(中略)「敬う」とは、根本的には想像力です。(中略)その前提として、自分には他社のことは「わからない」、ということがわかっていないといけないでしょう。(中略)わかりたい、と思うこと。ここに「慈悲」の核心があるでしょう。
・「敬う」という関係の対極にあるのが、相手を支配しようとする感情だと思います。
・本当に正しいことなら、それは必ず他人にも理解できることのはずだから、静かに説得すべきなんだ。怒るというのは、自分が正しいのは当たり前だと信じ込んで、言葉や力で人を攻撃することだ。
・これからの時代を生きていく上で求められるのは、教養。(中略)教養というのは、自己と世界のあり方、何よりその関係性を批判的に見ることができる、ということ。つまり、本当に正しいのかと疑い、自己批判する力があることだと思うのです。
・世の情報の大半は、知らなくてもいいことか、知らないほうがいいことです。

 
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