ブログを書くことになったきっかけとその意義について

ブログを書き始めて気づけば2000日以上。おざなりなときも多いのですが一応毎日続いています。出会った方たちにブログの存在を教えると、「なぜブログを書くの?」と質問されることもしばしばあります。そこで、なぜブログを書くことになったのか、ブログを書くことにどのような意義があるのかについてまとめてみようと思います。


【 1. ブログを始めたきっかけ】

それは一冊の本との出会いでした。2006年8月に偶然手に取った梅田望夫さんの「ウェブ進化論」。それまでインターネットはある程度利用していたものの、続々と登場するウェブ上のツールはほとんど未使用。当時「Web 2.0」という言葉が流行り出したときでしたが、私はこの本でやっとその言葉の表面的な意味を知り、何だか正体が良く分からないけれど、これは絶対に今ブログを始めて主体的にWeb 2.0を体感する必要があると感じました。今振り返って考えてみれば、特に根拠のない「予感」に従ってはじめたというのが正直なところです。


【 2. ブログを書き続けることで分かった自分なりの意義】

始めた当初は何をどのように書けば良いのかまったく分からないまま、ただ赴くがままにブログを書き出しました。ブログが日記とどう異なるのか、どんな意義があるのかなど、書き出してしばらくはまったく分からず、ただただ戸惑いながら日々ブログを書き続けました。

しばらくブログを書き続けると、次第にそれが自分にどのようなメリットをもたらすのかが後付けでわかってきました。書き出す前や書き出してしばらくは分からなかったことが、ある一定期間続けた後にその意義が明確になるという「時間性」の概念を強く感じたのもこのときでした。これ自体もひとつの大きな学びでした。実際はほかにも多くありますが、主な意義は以下の3つです。


a. 新しいことをみつけることが習慣になる

毎日ブログを書くためには、昨日とは異なる新たな行動、新たな発見、新たな体験をしなければなりません。よって、いつの間にか自然と新しいことを求める癖がつきました。

特に当時は台湾での仕事が非常に忙しく、その恵まれた環境にいながらまだまだ旅行や異文化体験ができていませんでした。この癖がついたことで、何事にも積極的に挑戦し、時間を浪費せず、日々充実した生活が送れるようになりました。前向きでダラダラと時間を無駄にしない体質ができたため、相乗効果で仕事もうまくいくようになりました。

b. その当時のことを色鮮やかに思い出すことができる

正直私はとても記憶力が悪いので基本的に過去のことはどんどん忘れてしまいますが、ブログを書くことでその欠点が大きく補われました。

例えば私は食事の記事を書くことが多いのですが、何年か前の記事であってもその食事の写真や書いた文章をあらためて見ると、そのとき誰と食事に行ったのか、自分が何を考え何を話したのか、当時の自分はどのような考えであったのかを思い出すことができます。それら当時の記憶や空気感を、味覚などの身体感覚を通じて記憶に刻み込むことで思い出すことが容易になるのだと思います。

このことは食事に限らず、旅行や日々の出来事についてもおおかた同様です。空気感を思い出すと一気に考えていたことなどがよみがえってくるので、極力写真を残すようにしています。

c. 自分をさらけ出すことで本当に共感できる人を呼び寄せることができる

ブログで自分の体験や考えなどを書き、知人や友人、さらには知らない方々にそれを晒すということは、基本的にとても恥ずかしいことです。しかしその恥ずかしさを我慢しながら、自分が考えたことなどを正直に素直にブログに書き続けていると、自然と自分が共感できるような素敵な方々が近くに集まるようになりました。

「本当の自分」を隠していれば、他人が「本当の自分」というものを理解できるわけがありません。誰も私を理解してくれないと嘆く人は、多くが本当の自分を曝け出さずに隠してしまっているのだと思います。

ブログを通じて面識のない方ともとても深い議論ができたり共感したりすることができました。また、知人や友人であっても、自分と実は趣味が共通であったり、同じようなことを考えていることを知れたりと、人間関係が広く深くなっていきました。


【 3. まとめ】

以上のように、ブログを書くことで多くのことを学ぶことができました。恐らくこれからもブログを書くことを通じて多くのことを学び、多くのことを得るという予感があります。

内田樹さんも書いていますが、現代に生きる我々は資本主義社会に生きているため、そのモノやサービスを購入するメリットをあらかじめ事前に説明されることに慣れています。よって誰かにブログを書くことの意義を聞いて、メリットがありそうであれば始める、なさそうであれば始めないという資本主義的な選択を自然としてしまっている人が多いのです。

ブログを書くことの意義は、人によって大きくことなると思います。私が先に説明したことは、すべて「振り返ってみたらこのような意義があった」と後から気づいたことです。大切なのはある一定期間それを続けてみるということ。続けてみて始めて、それが何を自分にもたらすことになるのかが分かるのだと思います。ブログでなくともフェイスブックやツイッター、あるいは趣味や勉強など何でも同じことだと思います。「何だかわからないけれど、なんとなくやってみたいかも」という自分の直感に従って、自分にだまされたと思って行動し継続することが重要です。

ソフトウェア開発者のフィル・リュウは、「いろんな可能性を秘めた新しいプラットフォームが登場したときに、新しい道を模索しないというのは逆に自分に損害をもたらすことになる。」と言いました。今ではその言葉が良く理解できます。目の前に新たな世界や新たな宇宙が拡がっていることに気づいたのであれば、分からなくともそこにまず飛び込んでみることが必要なのだと思います。自分が知っている世界の中だけにいては、自分が想像できる範囲での小さな意義しか見つけることはできないだけではなく、ときとともにどんどん自分が矮小化してしまうのだと思います。

☆関連コラム
1. 時間性について
2. 自分を素直にさらけだすということについて
3. 自分の常識や価値観を意図的に逸脱させるということ
4. 仮にもっとも頑張った一日を毎日続けることができたら

★↓ランキングに参加中。クリックするだけで投票になりますので1日1回お願いします。
にほんブログ村 海外生活ブログ ロサンゼルス情報へ
にほんブログ村