2011年03月26日のツイート
@days_octavarium: モノやカネを得ることでの満足は常に一時的で際限無くエスカレートしていくため、人はそれによって根源的な満足を得ることができない。自分の本当の満足というものは、モノ・カネ・努力・思いなどの様々な手段を用いて自分の脳や身体が体感した経験や感覚の蓄積からしかもたらされない。
2011-03-27 16:26:19 via web
@days_octavarium: そもそも、ある物事を完全に認識するということも不可能である。私たちができるのは、完全を目指して認識しようとすること、認識に完全はないということを常に覚えていること、自分の能力をフル活用して多様な視点から物事を考察すること、そして自分の認識の不完全さを把握する努力をすること。
2011-03-27 13:30:30 via web
@days_octavarium: 相手に伝わったと自分が考えていることが、願望的錯覚であるということを認識できるのが大人である。
2011-03-27 13:22:23 via web
@days_octavarium: イメージを完全に言語化することは本来的に不可能だけれども、できる限りで言語化しておくことは、自分がそのイメージを思い出すための有効なツールになり得る。
2011-03-27 13:19:30 via web
@days_octavarium: 真の意味で「考える」ためには、「感じる」力を総動員しなければならない。
2011-03-27 13:13:49 via web
@days_octavarium: 当然この世界には人ひとりの人生という時間枠を超えた様々な螺旋階段が存在する。数百年に一度という災害とその復興、という繰り返しも同一である。現代を生きる私たちは持てるすべての叡智を集結し復興を果たす。数百年後にまた大規模災害が発生したとき、少しでも高い周波数の音を奏でられるように。
2011-03-27 13:06:36 via web
@days_octavarium: 人は様々な時のリズムとどこまでも続くオクターブの循環の中で泳ぎ、翻弄される。以前自分が考えたことのある考えに戻る、いわば既視感のようなものを何度も味わいながら、それでも上にのぼっているという確信。人は、この根源的な自己満足に支えられているから、一度絶望しても立ち上がり前に進める。
2011-03-27 12:58:40 via web
@days_octavarium: そしてこれらの螺旋階段は、時に細かく分裂し、時に統合されながらダイナミックに進行する。人が生まれたときにたったひとつだった螺旋階段は、多様化され複雑化していくけれども、それはある時から次第に集束していき、そして人生が終わる瞬間にすべてがひとつに統合されるのだ。
2011-03-27 12:53:32 via web
@days_octavarium: 人生とは、同時に数多くの螺旋階段をのぼっていくことである。あらゆるものは循環しつつ、度合いは別としても一方的に上昇していく。それらの階段は、横から見たときの一段一段の高さや、上から見たときの円周がそれぞれ異なる。それに加え、その階段を歩むスピードも時によってまちまちである。
2011-03-27 12:49:45 via web
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