2010年09月06日のツイート
@days_octavarium: Remove any other things, just feel, just listen them. Every answer you need exists always in your mind. Do not hesitate your own pursuance.
2010-09-07 02:47:29 via web
@days_octavarium: あるひとつの対象に固執することの危険性は、対象が決定的な弱みに転じるという脆弱性のみならず、多様性を享受できないことに起因する、対象そのものの構造的な自己崩壊プロセスにある。
2010-09-07 02:26:44 via web
@days_octavarium: 京都・越前日帰旅行(圓通寺?蓮花寺?若狭湾)の報告です。人生最後の京都旅行かもしれないので感慨深いです。URL
2010-09-07 01:28:13 via web
@days_octavarium: 日本における独特の「空気」の文化。はるか昔から現在に至るまで、この「空気」の力は止まることなく日本中にはびこる。無意識のうちに不可避的に行われている無数の自己選択。この「空気」の正体を自分なりに考え抜くこと。
2010-09-07 01:22:06 via web
@days_octavarium: 仕事・遊び・勉強のベクトルを同一にしたことで、人生における時間が絶対的にも相対的にも劇的に増えた。物事を分けて考える思考の癖を取り除き意図的に同一化したり、弁証法のように時間性のなかで対立物を自然に相互浸透させれば、時間認識がダイナミックに変化し、ある物事の有用性が飛躍的に増す。
2010-09-07 01:01:23 via web
@days_octavarium: 困難に直面したり、感情の波が襲ってきたりして落ち込むことは、人として自然であるからそれ自体を抑えつけることをすべきではない。その感情の起伏に自分が耐えられないとき、抑えつけるのではなくまずは時間軸をひろげて考えてみよう。大抵の困難はそれで解決できる。
2010-09-07 00:52:53 via web
@days_octavarium: 本当に重要な判断をする時、論理だけでは明らかに不十分である。むしろ、自らの身体が感じる違和感や高揚感、および直感を重視した方が、その時点の自分にとって最良の選択を行うことができることが多い。
2010-09-07 00:46:35 via web
@days_octavarium: 他者からの指摘をすぐ行動に反映し検証できるなら素直にその場で従えば良い。一方、ある程度時間が必要で実行後に後戻りできない場合、本当にその指摘が有用なのか、時間を費やすべきなのかその時点の自分では判断できない。結局、論理を超えてその人を信じられるか、信じたいかで人は判断するのだ。
2010-09-07 00:43:53 via web
@days_octavarium: 結局、人生とは何に時間を使うかであるから、価値があることに時間を費やすべきなのは言うまでもない。重要なのは時間を費やすべきかどうか、その時点では判断できないことに内包される潜在的可能性をある程度正確に直感する能力である。
2010-09-07 00:34:44 via web
@days_octavarium: あることを継続したり努力したりすることによって自分が何を得ることができるのかは、ある一定の臨界点を超えて継続、努力するまで分からない。この時間性を論理で把握ができるのが大人。子どもというのは時間性を論理で理解できないから、ベースとなる安心感、人を信じる力の醸成が教育の土台となる。
2010-09-07 00:19:19 via web