河合隼雄「子どもと悪」岩波書店(1997年5月)★★★☆☆
- 作者: 河合隼雄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1997/05/20
- メディア: ハードカバー
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- 何かを好きと感じることは偉大なこと。
- 創造の道は、一般的傾向とは異なるものである。
- 日本においては創造性が悪に接近して受けとめられる度合いが高い。
- 危険のない意味あることなど、めったにない。
- 創造につながってくる想像は、もっと自分の存在全体とかかわってくる。
- 悪の不思議な両義性。いかなる創造にも背後には「破壊」がつきまとう。
- 人間が機械ではなく、生きているというのは、対立するかのように見える厳しさとやさしさを、いかにして自分という存在のなかで両立させていくかという努力を続けることである。
- 子どものたましいの欲するものが、大人の常識をはるかに超えてしまう。
- 常識というものは、この世に生きていく上で必要ではあるが、恐ろしいものである。
- 子どもを「理解する」ということは、本気でする限りなまやさしいことではない。多くの親や教師は、従って、理解のふりをするだけである。(中略)子どもの一番知りたいのは、自分の父や母が本気で自分のことを愛してくれているのか、ということである。
- 裸で走りまわる子、取っ組み合いをする子、泥んこ遊びをする子、これらは下手をすると「悪い子」に分類されてしまう。しかし、そのためにわれわれは身体性ということを置き忘れてしまった子どもをつくっていないだろうか。
- 「金持ち」は自分の身体を使わないようにする。つまり、身体性と切れていくのだ。(中略)「金持ち」になったために、われわれ日本人は身体性に通じる「ワル」というひとつの有力な通路を塞いでしまったのである。
- 荒れ狂う感情を無理して抑えようとすると、体がふるえてきたりするから、感情は身体性と密接に結びついていることがわかる。(中略)知性を重視する考えに立つと、感情の強い表現は悪ということになる。常に自分を抑制していることが善である。
- 人間は何かのことがらを、自分に納得のいく形で受けいれるためには「物語」を必要とする。
- 心と体に分けてしまうことによって、人間存在のもっとも大切なことが抜けおちてしまう。
- 子どもの世界は、それなりの広がりをもっており、大人が簡単に理解したり、支配したりできるものではない。
- 人間関係という場合、非言語的な一体感によるときと、一度分離した個体と個体が言語による契約によって結ぶ関係とが、両極端として存在する。
- 日本の親や教師は、教えたり、指導したりすることにせっかちで、子どものなかから自ら育ってくるものを待つことができない。(中略)大人の「善意」が強すぎるのである。