獲得と喪失の同一性と、身体性との関係について

私は「獲得は常に喪失と抱き合わせで起こる」という茂木さんの言葉の意味をこう解釈している。
 
何かを獲得した後では、その何かを獲得しなかったときに自分に訪れたであろう世界を
歩むことはもう決してできない。
何かを獲得しなかったときの世界は、永久に固くふたを閉ざす。
 
私たちは、消えていった無限の可能性を「感じる」ことはできない。
ただただ「想う」ことしかできないのである。
 
よって、獲得するということは、自分の選択肢を減らしていく作業そのものであるから
獲得とは、喪失そのものである。 *1
 
また、このようなアプローチで考えることもできる。
与えられた刺激に応じて、脳内のシナプスは結合先を都度組み換えている。
自分が何かを獲得するとき、獲得する対象が「モノ」であろうが「考え」であろうが、
その瞬間、脳のシナプス結合も変化する。
 
脳のシナプス結合が変化した後では、変化する前の自分の思考を本当の意味で
完全に志向することはもうできない。(後戻りできない)
なぜなら、完全に志向しようとしても、その志向を生むためのベースである
脳自体が変化してしまっているからである。
 
ゆえに、獲得することは喪失することに直結するし、獲得は喪失そのものである。
また時間性について考えてみても、獲得と喪失にタイムラグはほとんど無いと思う。
だから、このことを「獲得と喪失の同時性」と表現しても良いと思っている。
 

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脳は、シナプス結合の組み換えによって常に変化している。
全身のあらゆる細胞は、常に古い細胞が死に、常に新しい細胞に置き換わり続けている。
 
一方で人間は、ホメオスタシス(自分を一定に保とうとする力)を持っている。
 
この力が、人間の持つ身体性のひとつの重要な機能なのだろう。
そしてまたこれが、獲得は感じやすいが喪失は感じづらい原因なのではないだろうか。
 

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自分の思考は刻々と変化しているにも関わらず、それを変化していないように
感じさせているのが身体性なのかな。
 
そしてその身体性が自分の安定化装置として根底にあるから、ときには思い切った
変化を起こすという決断ができるのだろう。
 
変化をうまく起こすことができない人というのは、この身体性を失いかけている
のかもしれない。
 
安定化装置がうまく作動しないから、不安を生み、ためらいが必要以上に強化され、
惰性に負けて、現状維持という結論になるのかもしれない。
 
現代人における大きな課題のひとつ、それは身体性の回復であろう。
 
*1:6/17追記。
 
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