自分の人生の責任がとれるのは自分だけである

自分の人生の責任がとれるのは自分だけである。
 
この単純で今の自分では否定することが到底困難な真実を、愚かな自分はしばしば忘れがちである。他方、この言葉をしばしば思い出すことができることが、自分が自分たるゆえんであることも自覚している。
 
人生を終える瞬間に感じるであろう「自己の人生における幸せの総量」を最大化することが人生の最大の目的であったとしても、その幸せの総量が自分の期待を下回った時に感じる無念は、結局のところ単なる自分の主観でしかない。その瞬間になってみなければ本当のことはわからないかもしれないけれども、自分の人生を自分が主体となりしっかりと生き切っていれば、この無念が決定的な「敗北」につながることはないのではないかと思う。
 
恐れなければならないのはこの主観的な無念の感情ではなく、「自己の人生における幸せの総量」が他人の手によって決定されてしまうことだと思う。そして、それよりも更に恐れるべきなのは、無意識のうちに自分の手によって自分を抑圧してしまうことであろう。世界を見渡せば見渡すほど、自分の手によって自分の人生を決定できない人々が多くいることが分かる。彼らは他人によって自分の自由を奪われ抑圧されている。一方、この日本に生きる自由なはずの一個人が、自分の手によって自分を抑圧しているのも事実である。
 
物事というのは常に相対的であることに加え、その物事をとらえる自分はバイアスに満ちた主観の固まりそのものであるから、自分の今の考えは明日になれば変ってしまっている可能性もあるけれども、あえて今現在の自分の好みとして言えば、他人に自分の人生を決定されながらその悔しさや不幸を自覚し自分として生きる人間よりも、自分で自分を抑圧しそれを正当化して人生を主体的に生きない人間の方がせつないように感じるのである。なぜなら後者は、自らの手によって自らを息の根を止めようとしている(ときにはそのことにすら気づいていない)悲しい存在だからである。
 
結局は、自分を抑圧しているその何か(=自分自身のビリーフ、固定観念)との戦いなのである。この自分の範疇を勝手に規定してしまっている殻を突き破り、逸脱しなければならないのである。その逸脱を促進するための努力を死に物狂いでしているか。これが自分の人生を自分がまっとうするために、今の自分に突きつけるべき問いである。
 
今一度、スティーブ・ジョブズの言葉を読み返そう。めまぐるしく移り変わる異常な日常の中でこの重要な言葉を忘れてしまうなら、何度も何度も読み返すべきであるというそのことだけ覚えておけばよい。その努力から変革は起きる。

Your time is limited, so don’t waste it living someone else’s life. Don't be trapped by dogma - which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice.And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.
Steve Jobs
http://h.hatena.ne.jp/octavarium/9234279036868440390

 
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