歴史に矛盾はないということ

「結果をもって確定した過去の歴史において、矛盾などひとつもない」 ということに気づいた。
 
過去の歴史は、膨大な要因から構成されている。
もちろんその中には、あらゆる事象、物事、人間社会の振る舞いから生じる諸々の
出来事などが含まれている。
 
それらの要因が織り成す様相がどんなに複雑であろうと、どんなに理不尽であろうと、
時の流れに飲み込まれながら「過去」として処理されていく歴史は、あらゆる矛盾や複雑性をも
飲み込んだ、ただひとつの「事実」として確定し凍結して、永遠の眠りにつく。
 
そこに矛盾はひとつもない。
 
全ての事象が統一され、発生し凍結した歴史というものにすべて集約されている。
あらゆる要因の複合的結果として、歴史という一つの壮大な過去が出来上がったのである。
 
この考えを否定するために、多元宇宙論のようなものを提出しても意味がない。
可能性の議論ではなく、あくまでも過去の歴史という動かざる事象を議論しているからである。
 
また、歴史を「作りかえる」という表現があるが、それは過去の事実をどのように見るかの
議論であって、歴史そのものを変容させることではない。
 
もちろん、人間が認識できることには限界があるから、人間が歴史を認識しようとする限り
歴史というものは不確定的で流動的なものであるということもできる。
しかしながら、人間の認識における有限性の議論と、歴史という絶対的な結果に関する議論は
本質的に関係がない。
 
歴史とは、すべてのアウフヘーベンの結果なのである。
 
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