太宰治「ヴィヨンの妻」新潮文庫(1950年)★★☆☆☆

ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

ヴィヨンの妻 (新潮文庫)


この「ヴィヨンの妻」は短編集であるが、そのすべての短編を貫くのは
「おもてには快楽(けらく)をよそおい、心には悩みわずらう」
という太宰の苦悩である。
 
現代を生きる我々も、形は違えどこの苦悩を有している。
人間が生きるということは、そういうことである。
 
以下蛇足。
 
太宰治を初めて知ったのは中学か高校の授業中。
 
国語の資料集をパラパラとめくっていると、太宰治の欄に
「ただ一切は過ぎていきます」
という、太宰治の言葉が書いてあった。
 
これを見て、ああ、この人は僕と同じことを考えていたんだなぁ、
そしてそれが唯一の真実と考えて死んでいったんだなぁ、
と思った。
 
自分と同じ考えをしている人が世の中にいたという発見が
素直にうれしかったけれども、一方で、やっぱりこれが唯一の
真実なのかと、至極悲しい思いがしたのを覚えている。
 
当時、すでに私は「すべてが過去になる」ということに気づいていた。
このことに気づかず、現実の世界を生きる人たちを見ていると、
なんだか空虚な気持になった。
 
「すべてが過去になる」という真実を知らずに、または知っているのに
考えようとせずに生きる人生なんて、抜け殻として生きるのと
同じではないか、と思っていた。
 
今でも、すべてが過去になるというのはまぎれもない真実だと
考えているけれども、そのことだけに縛られて悲観的に生きるという
呪縛からは幸運にも抜け出すことができた。
(あるいは、忘れようとして逃げていることに気づかなくなった
 だけかもしれないが)
 
太宰は「すべてが過去になる」という画一した真実から抜け出せず、
自ら死を選んだ。
 
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