エドワード・ホール「沈黙のことば」南雲堂(1966年)★★★☆☆

沈黙のことば―文化・行動・思考

沈黙のことば―文化・行動・思考


異文化コミュニケーションに関する鋭い研究結果をまとめた本。
 

(P.45)
われわれがかかえている問題の大部分は、われわれの無知に発している。各分野の第一線にいる真面目な人々でも、文化がどれほど人間の行動に深い永続的な影響をあたえるものであるかを見逃している。しかも文化による決定的な影響のほとんどは、人間の意識の外にあり、個人がどれほど意識的に操作しようとしても、できない相談なのである。

外国人とコミュニケーションする際、「図々しい」とか「よそよそしい」と感じることがある。
実はその原因は、話をするときの対人距離であったり、話の仕方であったり、時間に対する感覚の
違いであったりと、文化の違いそのものに起因することであることが多い。
この認識の欠落によって、異文化コミュニケーションがうまくいかないことが多いのである。
 

(P.51)
自分自身の文化ほどみえないものはない。(中略)われわれの本当の仕事は、外国の文化を理解することではなく、自分自身の文化についての理解を深めることにあると信じている。(中略)異質の文化を研究する究極の目的は、自分の文化の体系がどのように機能するかについて、知見を広めることにある。異質なものにわが身をさらすことの意義は、いきいきとした力を感じ、知覚を鋭ぎすますことにある。生に対する関心は、異質なものに触れて、自分のものといかに対照的に異なっているかを痛感したときに、はじめてわれわれを捉えるものなのである。

上記のように、外国人のことを「図々しい」「よそよそしい」と感じてしまうのは、
自分自身の文化がみえていないからである。
まず私たちは、自分自身の文化(特にここでは空間や時間や価値観の特異性)について
知ろうとすること、すなわち、世界の多様性に触れて自分自身がどのように他文化の
人々と異なった空間感覚、時間間隔、価値観などを持っているのか、浮き彫りに
していくことが必要なのだろう。
外国人が特殊なのではなく、自分が特殊なのかもしれないのである。
 
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