「時間」は仮想空間の中にだけ存在するのか

先日、山ちゃんの送別会も終わりに差し掛かったころ、突然「お別れの挨拶を」
と幹事に依頼されたとき、山ちゃんが台湾に来てからのこの一年は、
本当にあっという間だったなぁ、としみじみ感じた。
 
自分としてこの一年間を振り返ったときに、結構新しいことにもチャレンジしたし、
海外旅行も結構行けたし、さほど大きくは無いけど転機があったので
まあまあ充実した一年だったと思う。
そう思うと、この一年は早くもなく遅くも無く経過したように感じる。
 
しかし一方で、山ちゃんとのことを考えると、まったくもって早い一年間だったのである。
 
時間というのはとても主観的な存在だと思う。
だとすれば、時間なぞ自分の脳の仮想空間にしか存在しないのかもしれない。
そもそも、過去も未来もその存在は曖昧であるから。
 
↓送別会での花束。