【2010年11月〜2011年2月】考える・感じるツイートまとめ(記録用)
考えない日々、感じない日々。それは見事に自分を空洞化させ、心を見事に奪い取る。ゼロからスタートして、今度はどこに行きつけるだろう。同じところに戻るような気もするけれど、心を完全に無くせば案外平穏が訪れるかもね。
2010-11-27 14:13:12 via web
間違っていることをしないことが、常に正しいとは限らない。
2010-12-03 23:54:52 via web
本質を追究しようと努力したその先に本質が待ち構えていることはほとんどなく、多くはその努力から遠くかけ離れた想像もつかないところで本質にふと巡り合う。
2010-12-03 23:55:52 via web
それ自体は良いことでも悪いことでもないけれども、自分の意見を明確に述べると、人の人生を変えてしまうことがあるということを決して忘れないこと。
2010-12-03 23:56:17 via web
心の底から求めていたことを手に入れた瞬間、それは音を立てず一瞬にして崩れ去るのだ。人の移動スピードが光に追いついたとき、真っ暗闇が目の前に拡がるのと同じように。光は、追いつく直前にもっともまぶしく輝く。
2010-12-03 23:57:56 via web
相対性理論や量子力学を科学の立場から理解しようとしても難解で理解できないけれども、哲学として考察するとすんなりとイメージできる。
2010-12-03 23:59:01 via web
感情をコントロールできると思っていること自体、感情をコントロールできていない証拠である。
2010-12-07 15:36:28 via web
手放すことで手にできるものもある。離れることで近づくことができる場合もある。
2010-12-22 14:34:05 via web
時間の不可逆性。それは人にとって激しく冷酷である反面、豊かな思考を芽生えさせる種火でもある。時間の不可逆性無くして、人は本質的で深い思考を構築することができない。
2010-12-22 14:41:43 via web
僕を目覚めさせるもの。ただそれだけを待ちながら、体の中を時が通り抜けるのを感じ続ける。
2010-12-22 14:46:31 via web
存在とは、その対象が遠ざかった後により強く認識される性質のものである。
2010-12-22 14:53:45 via web
How I feel is not how I felt and what I am is not what I was just like where I am is not where I was.
2011-01-09 14:50:12 via web
あの時の自分にはもう出会えないから、そろそろ次の自分に出会う旅に出よう。
2011-01-11 01:13:56 via web
誤解や誤謬があるからこそ、人は発言でき歩み出すことができ、創造性を発揮できる。厳密に論理的で、整合性があり、正しいことなどあり得ないし絶対に証明されない。自分の誤解や誤謬を不可避のものとして受け入れ、不完全性を認識することから自己表現や自己革新は始まる。
2011-01-11 01:21:11 via web
自己の潜在意識の表層化、オリジナリティの具現化の場としても、他者とのコミュニケーションは不可欠である。つまり、人が自己の特別性やアイデンティティを確認するためには、他者が必要なのである。
2011-01-13 00:15:19 via web
ここでいう他者とは、必ずしも他人である必要はない。人は、自己の中にもう一人の自分(=他者)をおいて、自分とコミュニケーションを行うことも多い。
2011-01-13 00:20:06 via web
素晴らしい記憶が自分の奥底に溶け込んで見えなくなっていくからこそ、新たな空白ができ、再び自分を確認できる。
2011-01-15 14:06:54 via web
目の前にあるものの存在よりも、自らの記憶の方が現実にほど近い。
2011-01-25 15:14:41 via web
お金や物を得ることによって得られる満足は不十分かつほんの一瞬であることのみならず、その小さな満足を得ることにより失うものの方がはるかに大きい。本当の豊さはそれらを得ることとは対極に存在する。
2011-01-25 15:29:56 via web
無意識のうちに、世界の原住民や秘境に住む人々に惹かれていた。止まることなくその魅力に翻弄される。得ることによって多くを失った我々現代人が今取り戻すべきは、文化であり、風習であり、お祭りであり、神話であり、家族であり、過酷な自然である。
2011-01-25 15:34:22 via web
考える前に知識として与えられる。感じる前に常識として押しつけられる。人は、こうして自らを失い、他人の人生を生きるようになる。
2011-01-25 15:36:23 via web