【2010年7月〜8月】考える・感じるツイートまとめ(記録用)
Essentially, your existence is beyond description.
2010-07-15 07:55:27 via web
他者の考えを心底理解し尽くすことは不可能であるがゆえに、孤独がもっともあたたかいと感じることがある。
空を見上げて宇宙を感じるとき、同時に自分の心の奥底を覗いている。宇宙と自分の心は同質であることにとどまらず、同一である感覚。それが仮想であっても、自分にとっては明白な実感であり、事実なのである。
人はみな、宇宙の忠実なフラクタルである。
理想の姿や未来を想像することで自分の可能性が限りなく拡がり希望が持てるけれども、その一方でこの想像は、今、自分の目の前にある幸せや美しさ、感動などを見失わせる要因にもなり得る。
2010-07-22 06:53:48 via web
そしてまた、新たな道を歩んでゆく。これは今までに経験したことがない困難な道であるが、困難であればあるほど奮い立つのだ。困難に直面することで、過去の自分を否定し続けること。それが自分というものを形作り、維持してゆく最良の手段である。
2010-07-22 21:30:20 via web
自分のすべてが、あるがままの自分。
2010-07-23 06:53:48 via web
客観や絶対。それらは確実に存在すると確信できる一方で、自分にはそれらを志向することしかできない。自分は、自分の脳を通じて主観的にしか物事を思考できないから。
2010-07-24 08:12:48 via web
必然か偶然かという議論。客観というものがあると仮定すれば、出来事はすべて偶然である。しかしながら人間がそれらを思考するとき、脳を通じた主観的思考にならざるをえないから、あらゆることを必然と考えることもできてしまう。よって、必然か偶然かの議論自体が意味をなさなくなる。
2010-07-24 08:16:10 via web
時間はいつ生まれ、いつ消滅するのか。あるいは永遠の過去から存在し、今後も永遠に続くものなのか。この問いを人間が発した瞬間、問い自体が破綻する。時間は冷酷なほどの客観存在である一方、人間の脳というフィルタを通すと果てしなく主観的になってしまうアンビバレントな存在であるから。
2010-07-24 08:21:45 via web
仏教における無心、ヘーゲルの弁証法における絶対精神、フェルト・センスの源、時間論・宇宙論の果て、芸術の行きつくところ。これらはすべて同一のことということに気づく。自分が興味をもって探求してきたことは、すべて同じことだった。
2010-07-24 22:16:55 via web
日々、これプロセス。
2010-07-26 07:30:28 via web
今を生きることと、過去・未来に想いを馳せること。今ここで起きていることに目を向けることと、遠い世界のことを想うこと。今の自分に満足することと、満足しないこと。両面をダイナミックに感じ、考え、味わい続けるのが「人」なのだから、一層のこと「人」を追求してみよう。
2010-07-27 06:20:06 via web
物語が同時に、そしてなめらかに進行している。正確に物語の数を数えることはできない。それは境のないグラデーション。1つの物語ともとれるし分割すれば無数の物語になる。相互浸透という変化がすべての矛盾を飲み込みながら。世の中の出来事は、それ以上でもそれ以下でもない。
2010-07-27 06:21:28 via web
死んでいった可能性、これから生まれくる可能性。フラットに両方を受け止めながら、ただこの道をゆく。
2010-07-27 06:27:07 via web
人類の発展は、クラウドソーシングそのものである。
2010-07-27 07:21:10 via web
すべてを変化の過程と捉えること。
2010-07-27 07:48:57 via web
すべてのものは、一時的に今の姿にとどまっているにすぎない。時が経てば、すべては変形し、風化し、溶け合い、別のものになってゆく。
すべての境目をなくすこと。
時間、空間、人間、すべての境目がゆっくりと消えてゆく。
逆光に向かって歩んでゆく。
2010-08-18 23:52:23 via web