【2010年6月】考える・感じるツイートまとめ(記録用)
目の前に広がるこの世界は、多すぎることによって不足している。
2010-06-24 22:04:24 via web
時間の貴重さと、時間性のかけがえの無さ。この二つが自分の身体に心地よく同居している。時間を丁寧に扱うこと。脳と身体の両方で時間を感じること。
2010-06-25 05:04:03 via web
過去、現在、未来を切り分けないこと。時の流れが速いときも遅いときも、その移ろいを自然体で受け入れるとともに、主体的に自分の道を歩むこと。
2010-06-25 06:45:02 via web
自分を保ち続けるために、自分は変わり続ける。
2010-06-26 04:13:47 via web
多様性(および多様な分裂と多様な統合)、時間概念の再定義、身体性の回復、加速度的グローバリゼーション、そしてそれらを貫く弁証法。これら一連の思索を通じて、自らのアイデンティティは際限なく拡大し強化され続ける。
2010-06-26 04:30:36 via web
この世界を貫く法則、それはあらゆるものが絶えず変化しているということ。一見硬直しているように見える事象も、必ず変化し続けている。それが硬直に見えるのは、自らの主観的な時間軸やパースペクティヴのせいであり、ここに誤謬の罠がある。変化は日常であり自然であるのだ。
2010-06-26 04:31:58 via web
「高さは違うが同じ音」が反復するオクターブの中にすべての音が閉じ込められているのと同様、宇宙も世界も人間も、すべてが弁証法的なフラクタルの中に閉じ込められている。その無限ループの中で、あらゆるものはその儚さゆえに無限のかがやきを放つ。
2010-06-26 04:50:31 via web
私が持つものの中で最も手放したくないもの、それは弁証法的思考である。
2010-06-26 05:08:20 via web
宇宙は絶対意志を持つことなく永久に弁証法的螺旋的発展を続けていくのであるから、宇宙のフラクタルである私もただただ螺旋的発展を続けていくのだ。私は脳と身体の中の小宇宙を泳ぐことによって、その母体である全宇宙とつながり、同一になる。
2010-06-26 05:31:25 via web
感じる世界との出会い。そして、考えることと感じることの相互浸透へ。人生でもっとも大きな矛盾の止揚がいま始まった。かつて、アレキシス・カレルが「人間 この未知なるもの」の中で挑戦したことに、これから挑み始める。
2010-06-27 06:49:26 via web
未来不是別人做的、就是自己做的。
2010-06-27 07:05:39 via web
自己の意識に支配されている自分にとっての究極のアウフヘーベンとは、やはり死なのだろう。自らにとってのすべての事象の統合であるから。
2010-06-27 07:06:52 via web
ドラスティックな視野の拡張は、常に大きな「揺らぎ」の中から生まれる。
2010-06-27 07:07:09 via web
結局のところ、この宇宙を支配しているのは「度はずれな自然」なのだろう。弁証法とべき乗則が支配する世界。その中では、時間という概念ですらちょっとしたフレイバーに過ぎないのである。
2010-06-27 07:07:35 via web
すべてが融合してひとつになる瞬間。それが宇宙の行きつく果てであることを感じつつ、今の自分の命を燃やし切るのが自分の人生。果てしなく大きな世界と、自分というちっぽけな存在の融合が、自分を動かす原動力である。
2010-06-27 07:07:53 via web
炸裂してしまえばいい。逸脱することからしか、変革は生まれない。
2010-06-27 07:08:09 via web
「客観」とは何かを突き詰めて考えると、唯物論と観念論という対立した概念の融合でしかそれを定義づけることができないことに気づく。すなわち、「客観」という概念ですら、対立物の相互浸透という、弁証法の世界の中のひとつの事象に過ぎないのである。
2010-06-27 07:08:34 via web
無秩序も度を超すと整然となる。べき乗則が指し示すことは、矛盾が真実であり、終わりがない対立物の相互浸透がフラクタルとして延々と続くという螺旋的進行。そこは、人間の悲観も楽観も通用しない世界。こんな宇宙を泳いでいると、自分の範囲が無限拡張していくことを受け入れることしかできない。
2010-06-27 07:08:57 via web
狂おしく続く変化という荒波に、身を任せたり抵抗したり。局所的、短期的に見ればどちらが良いかと悩むけれども、鳥瞰的、長期的に見れば、それらに大きな違いはないどころか、むしろ同一性を多く見ることができる。突き詰めれば、それらは深い地下で直通しているのだ。
2010-06-27 07:09:17 via web
生と死の境界があいまいなように、すべては過渡的で曖昧模糊としている。人間が身勝手に「絶対」という概念をあるひとつの事象に持ち込んだとき、そこに誤謬が生じはじめる。
2010-06-27 07:09:50 via web