村上春樹「スプートニクの恋人」講談社(1999年)★★★☆☆

特に1Q84海辺のカフカで強く感じた、あの村上作品特有の「空気感」はほとんどなかったが、
いろいろと思うところはあった。

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

(P.39)
わたしはやはりこの人に恋をしているのだ、すみれはそう確信した。間違いない(氷はあくまで冷たく、バラはあくまで赤い)。そしてこの恋はわたしをどこかに運び去ろうとしている。しかしその強い流れから身を引くことはもはやできそうにない。わたしには選択肢というものがひと切れも与えられていないからだ。わたしが運ばれていくところは、これまで一度も目にしたこともないような特別な世界であるかもしれない。それはあるいは危険な場所かもしれない。そこに潜んでいるものたちがわたしを深く、致命的に傷つけることになるかもしれない。わたしは今手にしているすべてのものをなくしてしまうかもしれない。でもわたしにはもうあと戻りすることはできない。目の前にある流れのままに身をまかせるしかない。たとえわたしという人間がそこで炎に焼き尽くされ、失われてしまうとしても。

(P296)
長いあいだ一人でものを考えていると、結局のところ一人ぶんの考え方しかできなくなるんだということが、ぼくにもわかってきた。ひとりぼっちであるというのは、ときとして、ものすごくさびしいことなんだって思うようになった。ひとりぼっちでいるというのは、雨降りの夕方に、大きな河の河口に立って、たくさんの水が海に流れ込んでいくのをいつまでも眺めているときのような気持ちだ。

(P.314)
すべてのものごとはおそらく、どこか遠くの場所で前もってひそかに失われているのかもしれないとぼくは思った。少なくともかさなり合うひとつの姿として、それらは失われるべき静かな場所を持っているのだ。ぼくらは生きながら、細い糸をたぐりよせるようにそれらの合致をひとつひとつ発見していくだけのことなのだ。ぼくは目を閉じて、そこにあった美しいものの姿をひとつでも多く思い出そうとした。それをぼくの手の中にとどめようとした。たとえそれが束の間の命しかもてないものであったとしても。

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