2011年05月18日のツイート
@days_octavarium: 僕は、ピリオドを打たれてしまうことがもっともつらい。
2011-05-19 15:09:03 via web
@days_octavarium: もしかして、スピノザが明らかに哲学を語りつつ「エチカ」の中では倫理というものを全面に押し出し懸命にそれを説いたのは、哲学に依拠して真理を説くと後世の人々がこの両刃の刃で傷つくということを知っての配慮?この仮説が仮に正しければ、やはりスピノザ恐るべし。
2011-05-19 15:04:58 via web
@days_octavarium: そういう意味では、哲学は後世の人々にとって両刃の剣。
2011-05-19 14:59:42 via web
@days_octavarium: スピノザがあの境地に達したということ。それを知った時、嬉しくもあり悲しくもあった。嬉しいのは、自分が行きついた結論に過去の偉人も行きついていたということ。悲しいのは、自分がいきついた結論が本当の結論であり、これ以上の答えは見つからない可能性があるのかもしれないこと。
2011-05-19 14:59:02 via web
@days_octavarium: 時に自分が賞賛されることがあったとしても、自分が優れたり秀でたりしているとはまったく思わない。なぜなら自分を構成しているものは、すべて自分以外のものだから。
2011-05-19 14:55:03 via web
@days_octavarium: 僕は、自分の胸の中に確たるものとして存在する大切な一つのこと、このことに辿りつけた自分をつくりだしてくれた両親、さらには今まで接したすべての人々、そして過去のすべての経験、出来事、クオリア、事象に感謝したい。
2011-05-19 14:54:20 via web
@days_octavarium: スピノザを汎神論として位置付けてしまったのは、スピノザの「神」を位置付けるための言語が不足していたからだと思う。汎神論なんていう言葉なんかじゃ表せないよね、この全世界との、全宇宙との一体感。それは言語でなんか言い表せない、言語をはるかに超えた壮大なクオリア。
2011-05-19 14:53:39 via web
@days_octavarium: 例えばアインシュタイン。彼は感じる世界と考える世界を、同時に、というよりむしろそれらをアウフヘーベンして、次の段階としての融合した世界を生き抜いた人たと思う。アインシュタインというとその具体的な学問的功績にのみ焦点が当たりがちだけど、それよりもむしろ、この融合を賞賛すべきと思う。
2011-05-19 14:48:06 via web
@days_octavarium: 今まで出会った感じる世界に生きる人たちは、多くが現代社会を生きるのには酷な、とてもフラジャイルな人が多い。それはある意味で必然だけれども、感じる世界を生きながら、それでいて安らかに安定することも実はできるんだよ。
2011-05-19 14:44:15 via web
@days_octavarium: ミヒャエル・ユンデは「感じる世界」を生きた人。この人は、明らかにクオリアを常に感じ、いつも足りない言語にフラストレーションを持ちながら、それでいてその言語を駆使して常に感じる世界を言語化しようと試みた。彼の「はてしない物語」にひきつけられる人は、感じる世界を感じることができる人。
2011-05-19 14:42:19 via web
@days_octavarium: 相手の態度って、ほんと、自分がとっている態度そのものだと思う。
2011-05-19 14:32:20 via web
@days_octavarium: 行きつくところまで行ったのか、それとも自分の殻の中で満足してしまったのかはわからないけれど、恐らく僕はこの感覚を、このイメージを大切にしながら人生を最後まで歩むことになるような気がする。それくらい、それは温かく、柔らかく、そしてなにより心地の良いものなんだ。
2011-05-19 14:29:02 via web
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