「スピノザの世界」に関するメモと考察1

以下は自分のためのメモ。
よって、引用には一部省略や追記・加工がおこなわれている箇所もあるので注意。

1. スピノザ
バールーフ・デ・スピノザ(Baruch De Spinoza、1632-77、享年44歳)

アムステルダムの裕福な亡命ユダヤ商人の家庭に生まれる。23歳のときにユダヤ人共同体から追放される。その後、当時の新思想デカルト哲学をほとんど独学で学ぶ。神(自然)が唯一絶対の実体であるとし汎神論を説く。無神論との非難を受け教会から禁書処分を受けたため、精魂を傾けた主著「エチカ」は生前に日の目を見ることはなかった。

2. スピノザ哲学の出発点

富、名誉、快楽。これら世俗的善はこれで満足、オーケーということがない。飲めば飲むほど渇きを覚える魔法の水みたいに、さらなる投資、さらなる追求を絶えず求める。(P.22、P.24)

このことには気づいていた。例えば「もの」への固執。高いものを買って得た満足は一時的なものであり、すぐにさらに高いものを求めてしまう。この欲は延々と続く。決して本当の満足には辿り着けないということ。(参照1参照2

一般の生活で通常みられるもののすべてが空虚で無価値であることを経験によって教えられ、また私にとって恐れの原因であり対象であったものは、どれもただ心がそれによって動かされる限りでよいとか悪いとか言えるのだと知ったとき、私はついに決心した、われわれのあずかりうる真の善[ほんとうのよいこと]で、他のすべてを捨ててもただそれだけあれば心が刺激されるような何かが存在しないかどうか、いやむしろ、それが見つかって手に入れば絶え間のない最高の喜びを永遠に享楽できるような、何かそういうものは存在しないかどうか探求してみようと。(P.20、「知性改善論」第1段)

スピノザが考えた「順序」として、上記のとおり探求しようという決意を本当にはじめに行ったのかどうかはさておき、エチカ入門として人々にその動機を与えるためのはじめの言葉としては、これ以上の文章は無いであろう。エチカの奇怪な表記方法も含めて考えると、この人は相当な策略家であったのかもしれない。

「知性改善論」は、正確には「知性の改善に関する、ならびに知性が事物の真の認識へと導き入れられるための最善の道に関する論文」。「エチカ」の入門書という位置付け。「知性改善論」は読者を「エチカ」の世界に導く「道」。道の役割は目的地の解説や説明ではなく、間違いなくそこへ連れていくことだけ。「私はいかに生くべきか」という一人称の倫理的な問いを、その強度はそのままに、非人称の世界にまで運んでいく道。(P.21)

『「私はいかに生くべきか」という一人称の倫理的な問いを、その強度はそのままに、非人称の世界にまで運んでいく道。』という箇所、スピノザの思想自体も素晴らしいが、それよりもさらに著者のこの表現力に引き込まれた。本書を読むうちに、どんどんスピノザの世界にのめりこんでいく。

「精神が全自然[=永遠無限なるもの]と有する一体的結び付きを知ること」、これが人間的完全性のしるしである。(P.38、「知性改善論」第13段)

今まで考えてきたこと、さらにはヘーゲルマルクスエンゲルスの弁証法などを通じて、自分の中にはここで記されていることが心底理解できるし、自分自身もそれを求め体現しようとしてきた。(参照3参照4参照5スピノザも同じイメージの中で考えエチカを書き上げたということ、それを知れたことだけで十分嬉しい。

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