2010年07月24日のツイート
@days_octavarium: 仏教における無心、ヘーゲルの弁証法における絶対精神、フェルト・センスの源、時間論・宇宙論の果て、芸術の行きつくところ。これらはすべて同一のことということに気づく。自分が興味をもって探求してきたことは、すべて同じことだった。
2010-07-24 22:16:55 via web
@days_octavarium: 時間はいつ生まれ、いつ消滅するのか。あるいは永遠の過去から存在し、今後も永遠に続くものなのか。この問いを人間が発した瞬間、問い自体が破綻する。時間は冷酷なほどの客観存在である一方、人間の脳というフィルタを通すと果てしなく主観的になってしまうアンビバレントな存在であるから。
2010-07-24 08:21:45 via web
@days_octavarium: 必然か偶然かという議論。客観というものがあると仮定すれば、出来事はすべて偶然である。しかしながら人間がそれらを思考するとき、脳を通じた主観的思考にならざるをえないから、あらゆることを必然と考えることもできてしまう。よって、必然か偶然かの議論自体が意味をなさなくなる。
2010-07-24 08:16:10 via web
@days_octavarium: 客観や絶対。それらは確実に存在すると確信できる一方で、自分にはそれらを志向することしかできない。自分は、自分の脳を通じて主観的にしか物事を思考できないから。
2010-07-24 08:12:48 via web