ミヒャエル・エンデ「モモ」岩波少年文庫(1973年)★★★★☆

モモ (岩波少年文庫(127))

モモ (岩波少年文庫(127))


「モモ 〜時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語」を読む。
 
時間の無い人ほど、時間を割いて読むべき本。
ゆえに、読むべき人ほど読むことができないであろう本。
 
この本のおかげで、忘れかけていた大事なことに気づくことができた。
 
早速、いつもはランニングをしながらそばを通り過ぎてしまっている公園のベンチに座り、
ハトを見て、揺れる木の葉を見て、青い空を見上げてみた。
 

格言

  • ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいない。
  • ベッポの考えでは、世のなかの不幸というものはすべて、みんながやたらとうそをつくことから生まれている、それもわざとついたうそばかりではない、せっかちすぎたり、正しくものを見きわめずにうっかり口にしたりするうそのせいなのだ、というのです。
  • モモ、ひとつだけきみに言っておくけどね、人生でいちばん危険なことは、かなえられるはずのない夢が、かなえられてしまうことなんだよ。いずれにせよ、ぼくのような場合はそうなんだ。ぼくにはもう夢がのこっていない

時間

  • 時間を(中略)はかってみたところであまり意味はありません。(中略)その時間にどんなことがあったかによって、わずか一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ほんの一瞬と思えることもあるからです。なぜなら時間とは、生きるということ、そのものだからです。そして、人のいのちは心を住みかにしているからです。
  • 人間はじぶんの時間をどうするかは、じぶんできめなくてはならない。
  • 光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。
  • ほんどうの時間というものは、時計やカレンダーではかれるものではない。

教育

  • リモコンで走らせることのできる戦車――それ以上のことにはまるで役にたちません。(中略)とりわけこまるのは、こういうものはこまかなところまでいたれりつくせりに完成されているため、子どもがじぶんで空想を働かせるよちがまったくないことです。(中略)子どもたちは、おもちゃのとりこになって、それでいてほんとうはたいくつして、ながめてばかりいます――けれど頭のほうはからっぽで、ちっとも働いていないのです。
  • しだいしだいに子どもたちは、小さな時間貯蓄家といった顔つきになってきました。やれと命じられたことを、いやいやながら、おもしろくもなさそうに、ふくれっつらでやります。そしてじぶんたちのすきなようにしていいと言われると、こんどはなにをしたらいいか、ぜんぜんわからないのです。たったひとつだけ子どもたちがまだやれたことといえば、さわぐことでした――でもそれはもちろん、ほがらかにはしゃぐのではなく、腹だちまぎれの、とげとげしいさわぎでした。

ドキッとした言葉

  • だんだん冷たくなっていく。
  • 二度ととりもどすことのできないものが永久に消えさってゆく。
  • オソイホド ハヤイ。

気持ち

  • 不安と心ぼそさがはげしくなってその極にたっしたとき、その感情はとつぜん正反対のものに変わってしまったのです。不安は消えました。勇気と自信がみなぎり、この世のどんなおそろしいものがあいてでも負けるものか、という気もちになりました。というよりはむしろ、じぶんにどんなことがふりかかろうと、そんなことはちっとも気にかからなくなったのです。

時間どろぼうから救われた世界

  • 大都会では、長いこと見られなかった光景がくりひろげられていました。子どもたちは道路のまんなかで遊び、車でゆく人は車をとめて、それをニコニコとながめ、ときには車をおりていっしょに遊びました。あっちでもこっちでも、人びとは足をとめてしたしげにことばをかわし、たがいのくらしをたずねあいました。仕事に出かける人も、いまでは窓辺のうつくしい花に目をとめたり、小鳥にパンくずを投げてやったりするゆとりがあります。お医者さんも、患者ひとりひとりにゆっくり時間をさいています。労働者も、できるだけ短時間にたくさん仕事をするひつようなどもうなくなったので、ゆったりと愛情をこめて働きます。みんなはなにをするにも、ひつようなだけ、そしてすきなだけの時間をつかえます。いまではふたたび時間はたっぷりとあるようになったからです。

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