普天間基地移設問題に見る「日本を支配する空気」

 少し前に日本で流行した言葉、KY。知ってのとおり、空気が読めない人のことを揶揄する言葉だが、時にはその空気が読めない人を村八分にするほどの威力をもつというのが特徴だろう。この「KY」という言葉が聞かれることはめっきり少なくなったが、「空気を読め」という心理的圧力自体は、今も変わらず日本社会のあらゆる場面で見ることができる。
 この「空気を読む」という日本人の行為は、今に始まったことではない。ある意味でこれは日本人に脈々と受け継がれている無形文化である。例えば1945年4月、戦艦大和による沖縄特攻作戦。これは、敵に制海権制空権を奪われた海域を突破して、敵占領地に乗り上げ、巨大な主砲を陸上の砲台として逆に敵艦隊を砲撃しようとする作戦である。当時、多くの将校たちはこの攻撃を無謀と考えた。彼らは大和の出撃を無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確な根拠を持っていた。しかしながら現実としては、悲劇的なこの作戦は決行された。攻撃を無謀と考えていた将校たちも、最終的にはその場の「空気」を理解して作戦を了解したのである。これは、あの理不尽な戦争を象徴する出来事であり、同じような場面が実際に多く存在したのであろう。以上のストーリーは論理的には理不尽なことでも、日本人であれば当時の「空気」をなんとなく想像し理解できるのではないだろうか。
 話変わって、昨日、うどん屋で目にしたお昼のニュース。そこには普天間基地移設先の有力候補である徳之島で、基地移設の反対集会を行う島民の姿があった。徳之島は、徳之島町、伊仙町、天城町の3つの町で構成される南西諸島の奄美群島に属する離島の1つで島の人口は約27,000人。約15,000人がこの反対集会に参加したという。島民の半数以上が一か所に集まり、声高らかに叫び、反対のプラカードを掲げて一致団結していた。3つの町すべての町長が、この移設に反対であるという。
 この集会の背後にあるものは何だろう。そもそも、基地移設に賛成、あるいはどちらともいえないという人たちが多かれ少なかれいるはずである。例えば、建前は別としてアメリカの戦力に多くを頼らなければならない実情を考えると、日本にはアメリカ軍が当面必要である。よって、日本の安全保障を引き受けるために、島民がいくらかの犠牲を払って米軍基地を誘致することも必要なのではないか、と思っている人。また、米軍基地を誘致できれば国からの補助金や仕事の増加で島の経済が活性化し、進行している高齢化や過疎化が食い止められ、島に住む人々の幸せがある面で促進できるのではないかと考える人。今日反対集会に参加した島民は、これらの社会的使命や経済的メリットを並行して冷静かつ論理的に熟慮した上で、反対という立場を選択し集会に参加したのであろうか。それとも、論理的には同意できないが、徳之島、ならびに日本にいつの間にか醸成された「空気」に従って参加したのであろうか。あるいは深く考えず、周りの人々が参加するからという理由で、周囲の「空気」に従って自分も参加したのであろうか。
 島特有の事情もあるので理由は様々だと思うが、これだけの人を集めたのであるからある程度「空気」が作用したのではないかと思われる。また、テレビ番組の解説者たちの多くは、島民が反対するのは当たり前、政府に責任があるという結論である。確かに政府の対応にはふさわしくない点がある。一方で彼らの多くは有識者であるから、物事がそんなに単純な話ではないとわかっていても、日本に醸成された「空気」があるからけしからんと連呼せざるを得ないのだろう(さらに日本のTVというメディアでは解説時間を十分与えてもらえないという問題もあるから若干複雑になるのだけれども)。こうなってしまうと、どこに基地を移設するのがベターな選択なのか、という論理的な議論ができなくなってくる。これが日本的「空気」のなせる技である。
 ここで浮かび上がる重要な問題は、日本人の論理的思考能力自体の課題と、論理も最後は空気に負けるという文化的側面の二つが、この事象の背景に融合して存在しているということである。前者の議論はここでは触れないこととして後者に関してのみ言えば、この基地移設反対にまつわる話はあくまでも一例であり、日本企業の会議、夕暮れ時の井戸端会議など、日本の様々な場面で日々行われていることなのである。日本人のこの「空気を読む」文化は、当然良い面もある。コミュニティにおける一体感の創出、非常にスムーズな合議、ムラ内部の安全と平和などである。
 しかしながらグローバル化が想像を超えたスピードで加速度的に進行するこの時代に、それは切れ味鋭い刃物となり、我々自身を切り裂く可能性がある。昨今、日本人の論理的思考不足が指摘され、ロジカル・シンキングやクリティカル・シンキングなどのスキルを磨く必要性は耳にするようになったが、一方でこの「空気」に関する問題に触れられることはほとんどない。
 これからの時代を生き抜くに当たって、この「日本の空気の文化」を客観的に理解することが、日本人の弱みを克服すること、あるいは強みを伸ばすことにつながるのではないだろうか。

【参考記事、文献】

 
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