森博嗣「自由をつくる自在に生きる」集英社新書(2009年11月)★★★☆☆

自由をつくる自在に生きる (集英社新書 520C)

自由をつくる自在に生きる (集英社新書 520C)


「自由」とは何かをわかりやすく書いた本。
  
自分自身が日々行っていることは、まさにこの「自由をつくり、自在に生きる」
ためのことであるのだと気づかされた。
 

(P.52)
流行を取り入れることは、つまりは考えなくて良い、「手軽な安心」の選択なのだ。それに従っていれば、誰かに文句を言われないで済む、という緩やかな「支配」に甘んじているといえる。

(P.55)
「人の目を気にする」人間の大半は、「自分の周囲の少数の人の目を気にしている」だけである。そして、「人の目を気にしない」というのは、自分一人だけの判断をしているのではなく、逆に、「もっと確かな目(あるときは、もっと大勢の目)」による評価を想定している、という意味だ。それは、「今の目」だけではなく、「未来の目」にも範囲が及ぶ。それが「客観」であり、「信念」になる。

(P.62)
そもそも、「終わった!」「達成した!」という感覚こそが、人から与えられたノルマだから感じるものだといえる。自分の発想でやり始め、自分が自分に課した目標であれば、たとえ見かけ上それを達成したとしても、新たな目標が必ず出てくるし、途中できっと不満な部分に出会い、あそこを直したい、もう一度ちゃんとやり直したい、という気持ちになるはずだ。自分の自由でやると、絶対にそうなる。経験がある人にはわかるだろう。

(P.63)
目指すものは、自分で決めなければ意味がない。本当の自由はそこから始まる。目指すものへ向けて、少しずつ近づいていく自分、それを体感する楽しさ、そして、おそらくは辿り着けないかもしれないそのゴールを想うときの仄かな虚しさ、でも、とにかく、その前向きさが、自由の本当の価値だと僕は思う。

(P.78)
「支配」がなくなったとか、減ったとはどうも思えない。簡単にいえば、見えにくくなっただけだ。封建社会や軍国主義のように、「わかりやすい」力ではなくなっただけのことだ。そのかわり、美しい言葉に飾られ、密かに、そして緩やかに、支配は存在している。

(P.89)
自由の価値というのは、過去の自分よりも、今の自分が、そしてさらに将来の自分が「より自由」になっていく変化を感じることにある。常に自由に向かって進む、その姿勢こそが、自由の本質だといっても良い。

(P.114)
いつまでも不自由が続く理由とは、それを許容していること以外にない。

(P.117)
人と違う道を選べ。

(P.126)
非合理な常識よりも、非常識な合理を採る。それが自由への道である。

(P.156)
真っ白な心で感じる素直な感性は、努力をしなければ維持できない。このように、自由とは、放っておいて成り立つものではなく、常に磨かなければならないものだ。禅僧が座禅をして求めるのも、これと同じ「無心」という自由である。

(P.156)
「生きる」とは、結局は「死」への抵抗である。自然に流されるままであるなら、それは「生きている」とはいえないのではないか。

(P.158)
生きていることも、そして自由も、すべて想像の産物である。

(P.160)
思考は一つではない。一列ではなく、複数のものが並列して、同時進行しているのである。そんな具合だから、考えていることを文章に書き留める作業は、元来無理なことであり、本当に難しい。

(P.167)
人間は拘れば拘るほどスケールが小さくなる。視野が狭くなる。そうやって、自分というものを決めつけてしまわないことだ。

 
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