人生にも矛盾はないということ

11/6のコラム「歴史に矛盾はないということ」の続編。
 
この宇宙、地球、人類の歴史に矛盾がないということであれば、そのフラクタルである
一個人の人生の歴史においても、結局は矛盾など生じえないということになる。
 
自分が生き抜くこの人生は一回性そのものであり、他の何ものにもなり得ない。
 
「現在」においてどんなに思考錯誤し、引き裂かれそうな問題に苦悩したとしても、
歩むことができるのはたった一本の道である。
 
人間の宿命である「認識の有限性」に縛られているがゆえに、目の前には矛盾が満ち溢れ、
起こり得ないことが起きているように感じることが日々あるけれども、
複雑系科学の視点に立てば、結局、「有り得ないこと」など有り得ない。
 
有り得ないと思えてしまうということは、人間の認識を超えたところで発生している
多くの事象が複雑に絡み合い、結果としてそれを生み出しているというだけである。
 
すべては何らかの要因によって発生する。
しかし、どの要因がいつどのように作用して、臨界点を超えるかなど決して予想はできない。
 
本当は、歴史だけでなく、人生だけでなく、あらゆる事象に矛盾などないのだろう。
過去、現在、未来のあらゆる事象に矛盾など生じえない。
 
人間における「認識の有限性」が、それを仮想として生み出しているに過ぎない。
 
そうであれば、私という存在は、結局のところこの壮大な宇宙のフラクタル
過ぎないのかもしれない。
 
パスカルは、
「人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。
 だが、それは考える葦である」
という言葉を残した。
 
この言葉を元として言いかえれば、
「人間はありきたりのフラクタルにすぎない。自然の節理そのものである。
 だが、それは考えるフラクタルである」
と言えるのではないか。
 
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