ワルシャワ・ウイーン旅行回想録3 〜ワルシャワでの披露宴参加〜(2006年7月21〜28日)

id:akt0204夫妻の結婚式が無事終了し、披露宴が行われるホテルへ移動。
 
実はワルシャワに来るにあたって、酒を持ってこいとの指令をid:akt0204からいただいていました。
ご存知のとおりポーランドの冬は非常に寒く、みなウオッカをじゃんじゃん飲みます。
そんな酒好きのポーランドの方たちを喜ばせるための配慮のようです。
 
19時頃、披露宴はスタート。
プロのDJが音楽を流し、様々なイベントが行われます。
 
基本的に、飲んで、踊ってという、楽しいパーティです。
日本人組はなかなか踊りが上手ではありませんが、酒が入り至る所で国際交流が始まります。
 
私は酒要員として投入されていましたので、必死にポーランドの若者たちに、
「Japanese Ikki」と「Taiwanese Kanpei」
をしかけます。
 
台湾の空港で買った日本の焼酎を彼らに飲ませると、
「何これ、水??」
と言われ、大いになめられましたので、
仕方なく自爆覚悟で台湾から持ち込んだ大量破壊兵器「高梁酒」(58度)を投入します。
 
この高梁酒には、さすがのワルシャワっ子たちもビックリ。
日本代表としてのぞむからには負けては帰れないと、必死に戦いを挑みます。
 
気づけば夜中の12時。
すでに5時間ほど続いています。
 
この頃には、ポーランド人たちに勧められ飲み続けているウオッカと、
大量破壊兵器である高梁酒のチャンポンが脳細胞と消化器系を襲い、
やばい状況となってきました。
 
不安になってきた私は彼らに聞きます。
私 :「普通、披露宴って何時頃終わるの?」
彼ら:「終わらないよ」
私 :「・・・」
 
さすがにこの時間になると高齢の方はきつくなるので、少しずつ退散しています。
帰りたい人から帰っていくという仕組みなのです。
 
私が話し、酒を一緒に飲んでいた弁護士などの御一行は、3時頃帰って行きました。
その中の一人は、「高梁酒」に相当衝撃を受けたようで、帰る前に捨てゼリフ。
 
「今日は最高の一日だったよ。お前に出会ったこと以外はな。」
 
日本代表(っていうか、台湾代表?)が奇跡的に勝利をおさめた瞬間でした。
 
それにしても、新婦の友人の方たちの英語はとても流暢でした。
私に合わせ、みんな英語で話しかけてくれ、話も弾みました。
ポーランドの人たちは、自国の未来が暗いことを憂慮し、必死に勉強しているのです。
 
結局私は朝5時に、薄明るい中ホテルへ。
次の日は、一日ホテルで二日酔いとの戦いとなりました。
(続く)
 
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