池谷裕二「単純な脳、複雑な『私』」朝日出版社(2009年5月)★★★★☆

単純な脳、複雑な「私」

単純な脳、複雑な「私」


何だかとってもたくさんのことを考えさせられた本。
 
特に終盤は驚愕する内容が続き、自分の核のところを揺るがすインパクトがあった。
この種の刺激を与えてくれる本は、本当にありがたい。
すごいなぁ、面白いなぁ。
 
やることが山ほどあり切羽詰まっているから、とりあえずメモのみ。

(P.75)
睡眠は脳や体をクールダウンするための休息時間では決してなくて、もっと積極的に情報の整理や保管を行うための活動的な「行為」である。

(P.84)
直感は学習。直感は訓練によって身につく。

(P.107)
僕らは解釈の自由を奪われている。僕らって自分では自由にいろんなことを考えて生きているつもりかもしれないけれど、実際にはすごく決まりきった、特定の約束の中でしか思考していない。すでに経験して見知っている記憶を頼りに推測しなきゃいけないから、そんな思考パターンの「縛り」が生まれちゃうわけだよね。でも、この事実を裏返して考えれば、やはり、意識するにしてもしないにしても、僕らの思考や信念は「記憶」が頼りだという言い方もできる。

(P.110)
僕らにとって「正しい」という感覚を生み出すのは、単に「どれだけその世界に長くいたか」というだけのことなんだ。(中略)経験の「記憶」が正しさを決めている。この意味で言えば、「正しい」か「間違っている」かという基準は、「どれだけそれに慣れているか」という基準に置き換えてもよい。

(P.115)
「正しさ」の信念は、結局は記憶から生まれる。しかも、よりアクセスしやすい記憶に影響を受けやすい。

(P.120)
もう一歩踏み込んで言えば、「正しい」というのは、「それが自分にとって心地いい」かどうかなんだよね。その方が精神的には安定するから、それを無意識に求めちゃう。つまり、「好き」か「嫌い」かだ。自分が「心地よく」感じて「好感」を覚えるものを、僕らは「正しい」と判断しやすい。

(P.135)
情報はきちんと保管され、正確に読み出されるというよりも、記憶は積極的に再構築されるもの。とりわけ、思いだすときに再構築されてしまうことがポイント。

(P.140)
無意識の脳はちゃんと感知して、僕らのあずかり知らぬところで、正しい反応や判断を下している。つまり、意識よりも無意識の方が正しい。

(P.164)
ヒトは一匹だと人間になれない。つまり、人間に重要なのは他人との関係だ。

(P.176)
他人の視点から自分を眺めることができないと、僕らは人間的に成長できない。自分の悪いところに気づくのも、嫌な性格を直すのも、あくまでも「他人の目から見たら、俺のこういう部分は嫌われるよな」って気づいて、はじめて修正できるわけだ。

(P.181)
ヒトに心が生まれたのは、自分を観察できるようになったから。

 
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