大局観とプリンシプル

価値観が際限なく多様化していく現代の世界の中で、自分が自分であるため、強固に構築し
守り続けなければならないのが、大局観とプリンシプルであると思う。
  
大局観とは自分の視点を離れて、如何に客観的に自分、ならびに自分が置かれている状況を
広い視野から把握できるかのことである。
 
人間が社会的動物である限り、自分の人生の中で直面するあらゆる事象は、自己ではない
他人や、モノとの関係性に集約される。
これは、他人やモノとの関係性のそのものに、常に少なからずギャップが生じることを意味する。
 
例えばビジネスにおいて、自分を取り巻くプレイヤー(仕入先や顧客、株主など)と自分との
間には、置かれた環境の相違による考え方の差異や、利害関係が異なることによるギャップが
少なからず存在している。
しかもこのギャップは、グローバル化が自分の想像をはるかに超えるスピードで拡がってゆく
中で、より大きくなり容易に埋めがたいものになってゆく。
 
この大きなギャップを埋めることができ、社会性の中で自分の存在価値を最大化できるのが
大局観なのである。
 
大局観とは、平坦な言葉で言いかえるならば教養である。
 
いかに広く物事を知っているか。
さらに言えば、いかに自分は物事をしらないということを知っているかを知ることが、
教養である。
 
今の日本には、この教養が欠けているから、必然的に大局観を持たない大人が増えていると
思う。
 
一方、プリンシプルというのは自らが「ここだけは譲れない」という原理原則のことである。
 
このプリンシプルを譲ってしまっては、自分が自分たり得ないという極限まで追い込まれる。
それぐらいのポリシーというか、哲学というか、ひとことでいうとプリンシプルを持って
いなければ、荒波続きの時代を主体性をもって生き抜くことはできないと思う。
 
以上、大局観とプリンシプルといった、一見相反することを持ち続ける勇気とセンスが
なければ、これからの激動の時代を幸せに生き抜くことはできないであろう。
 
この言葉を、自分自身につねに投げかけていきたいと思うのである。
 
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