松岡正剛「多読術」ちくまプリマー新書(2009年4月)★★★★☆

多読術 (ちくまプリマー新書)

多読術 (ちくまプリマー新書)


松岡正剛さんが「多読術」について語った本が出版されたことを知り、すぐさま購入し読了。
期待通り、とてもためになる本であった。
 

(P.9)
本というのは、長い時間をかけて世界のすべてを呑み尽くしてきたメディアである。もしも人間と動物を決定的に分けているのが「言葉」と「意味」だとすれば、やはりすべての人間的なるものの源泉は、その大半が本の中にあるといってよい。

人類が積み重ねてきた膨大なる叡智を、本という媒体で浴びることができる。
このことを考えれば、読書が軽視されるべき理由は何もない。
 

(P.46)
いちばん心がけたことは、寝ないようにするということでしたね。(中略)いまでも一年のうち三百日くらいは午前三時以前には寝ません。

仕事がどんなに忙しくても、読書に割く時間を必ず設けるというのがコツらしい。
 

(P.49)
ぼくは社会人になって何度か引っ越しをするんですが、たいてい図書館の近くを選んだ。(中略)図書館のいいところは、そこには本しかないということです。図書館に通えば、読書習慣は必ずつく。ジムに行ってトレーニング以外のことをしないのと同じで、図書館に行けば必ず本になじみます。

こういった工夫の積み重ねが必要なのだろう。
 

(P.64)
読書はどんな本をどんな読み方をしてもいいと思います。スキルアップのために読むのも、食材のように楽しむのも、ファションのように着替えるのも、すべていい。

(P.125)
多読術にとって大事なのは、本によって、また読み方によって、さまざまな感情やテイストやコンディションになれるかどうかということです。その多様性を楽しめるかどうかです。その多様性をぼくは、たとえば「ワインを飲むように読む」「アスリートのように読む」「温泉であたたまるように読む」「竹を割るように読む」「教えを乞うように読む」「強い格闘家と闘うように読む」「時間つぶしのために読む」「書くために読む」というような形容で、これまで説明してきました。

松岡正剛さんからこのようなコメントが出てくるとは思っていなかった。
これは良い意味で裏切られた。
やはり、必要なのは多様性であることを再認識できた。
 

(P.69)
読書の醍醐味を一言でいえば、未知のパンドラの箱が開くということ。(中略)こちらが無知だからこそ読書はおもしろいわけで、それに尽きます。無知から未知へ、それが読書の醍醐味です。

「無知から未知へ」というこの言葉がこの本を読んで最も印象に残った言葉である。
ソクラテスの「無知の知」に通じる言葉。
本はいくつもの人生、いくつもの価値観を自分に提供してくれる素晴らしいツールなのである。
 

(P.76)
読書というのは、書いてあることと自分が感じることとが「まざる」ということ。(中略)読書は著者が書いたことを理解するためだけにあるのではなく、一種のコラボレーションなんです。

読書の効用はいくつもあるが、この「まざる」という表現で示された効用はとてつもなく大きい。
本をあまり読むことが無い人というのは、この効用に気づいていないのだろう。
 
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ