杉山登志郎「発達障害の子どもたち」講談社現代新書(2007年12月)★★★☆☆

発達障害の子どもたち (講談社現代新書)

発達障害の子どもたち (講談社現代新書)


発達障害というと先天的なものであると考えがちだが、環境による後天的な要因も実は非常に多い。
実際はその両方が重なって問題を大きくしていることもあるのである。
また、努力によって改善に向かうこともあるし、対応を間違えれば悪化する場合もある。
 
我々は、無知のまま勝手に構築した固定観念というフィルターを通して考えていることが多い。
 
ことに発達障害や精神障害については、口にすることすらタブーであるかのような雰囲気が
あるため、その傾向が強いのではないだろうか。
さらに現代の日本社会というのは、これら障害に悩む人々を、一般生活を営む我々の目に
つかないように仕向けていることが多く、一般の我々がその現実に直視し、考える機会を奪っている。
 
発達障害に対する取り組みは、誤解との戦いの歴史そのものということもできる。
非常に困難な問題であるため、専門家の間でも意見が割れることが多い。
 
このような背景の中、昨今は発達障害に関する研究が進み、適切な処置がとれるようになりつつある。
また、発達障害の詳細分類についてもここにきてだいぶ進んできているようである。
 
しかしながら一方で、我々の固定観念や思い込みが、依然として問題解決の大きな妨げとなっている
ことも否定できない。
発達障害の子どもたちと普段接することが非常に少ない我々が、ある程度の正確な理解を持つことが
もっとも重要なのではないかと思う。
 
これからの時代、発達障害(自閉症など)、精神障害(うつ病など)などに苦しむ人々が増える
ことは間違いない。
我々はこれらの人々の苦しみを理解することはできないけれども、苦しんでいるということは
理解することができるはずである。
そこから目を逸らすのではなく、社会の表層に出さないよう覆い隠すのではなく、
直視していくことが必要なのである。
 
児童青年期精神医学の専門家であり、また数多くの発達障害、精神障害の子どもたちに向き合ってきた
著者が語る言葉は、私にとっても非常にためになるものであった。
 

(P.31)
特に生後三年間は、できるだけ親は子どものそばにいてほしいと思う。(中略)人間の子どもという存在は、子育ての早期には養育者の絶対奉仕を要求するのである。(中略)
著者としては女性の自立は必然でもありまた必要でもあると思うが、誰かが子育てを担わなくては被害を受けるのは子どもの側であり、それは社会全体に十数年後には跳ね返ってくる。子育ては集団よりも個人のほうがよい。特に生後早期から数年間において個別のそだちが必要であることは、乳児院でそだった子どもたちが後年、心の発達の問題を抱えやすいことからも、さらにイスラエルのキブツをはじめとするさまざまな実験からもすでに証明済みのことである。
アメリカなどいわゆる先進国の格差社会の中で、社会的な地位の高い夫婦は男女とも働いていることが少なくないが、そのような家庭ではベビーシッターを雇っているのである。これは母性をお金で買っていることに他ならず、これが最良の方法とは筆者にはどうしても思えないのである。

ゼロ歳児保育の認可。
女性の社会進出の促進に対して「No」ということが女性差別であると画一的に否定される風土。
現場で問題の本質を直視している人々は、みなその危険性に気づいている。
 
日本社会はいったいどこに向かっていくのであろうか。
 
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