エドワード・ホール「かくれた次元」みすず書房(1966年)★★★★★

かくれた次元

かくれた次元


松岡正剛氏の千夜千冊で知り、購入した本。
 
アメリカ人文化人類学者であるエドワード・ホールの作品。
原題はThe Hidden Dimension。
プロクセミックス(Proxemics、近接学)の本である。
 
生物学的アプローチ、および文化的アプローチで生物間、人間間における「距離」の
意味を研究し、見事にまとめあげている。
 
このような視点で「空間」を研究しようと考えたこと自体、なかなか思いつくことが
できないことであるし、長年に渡って複数の角度から興味深い研究を続けたことも
高く評価できる。
 
さらには、この研究から派生し追求された「感覚」に関する思考が、とてつもない
パワーを持って語られているのである。
 
本当に素晴らしい本に巡り合えたものである。
今まで異文化コミュニケーションが不可欠となるこの時代に、この本を手に取ることが
できることの意味はとてつもなく大きい。
「一冊の本に出会うことの意味」をあらためて強烈に考えさせられた。
 
この世界には自分の常識をはるかに超えた視点で、とてつもない深さでとらえようとする
人がたくさんいるものである。
 

(P.5)
異なる文化に属する人々は、ちがう言語をしゃべるだけでなく、おそらくもっと重要なことには、ちがう感覚世界に住んでいる。感覚情報を選択的にふるいわける結果、あることは受けいれられ、それ以外のことは濾しすてられる。そのため、ある文化の型の感覚的スクリーンを通して受けとられた体験は、他の文化の型のスクリーンを通して受けとられた体験とはまったくちがうのである。
 
(P.117)
われわれが現代において彼らの(過去の)世界について描くイメージは、継ぎ合せて復元された博物館の壺のようにつねに不完全であり、原型の単なる近似物にすぎない。人間の過去を解釈しようとする試みに対する最大の批判は、その試みが過去の視覚世界の上に現在の視覚世界の構造を投射しているということである。この種の投射は、(中略)人間は無意識にではあるが能動的に視覚世界を構成するということに気づいている人のすくないことが原因となっている。人間と環境とは相互に作用しあうように、視覚が受動的ではなく能動的なものであることを少数の人々しか気づいていない。そういうわけで、アルタミラの洞窟壁画やルクソルの神殿が造られた当時と同じイメージや反応を得ることはできない。
 
(P.181)
プロクセミックスのパターンは民族の間にある基本的な差異を鋭く浮き立たせる。この差異を無視するのは非常に危険である。

 
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